Q 大学生の息子を持つ母親です。私たち夫婦は、どちらも平凡な地方公務員でしたが、息子は幼いころから知的関心が旺盛で、小学生のころから自分で探してきた数学塾に通い、来る日も来る日も数式を解いていました。中学を卒業するころには、高校で習う範囲は終わっていたように思います。高校に入ると、今度は文学や哲学に凝り始め、放課後のほとんどの時間を図書室で過ごしていました。「将来は数学者になりたい」と言って、関東地方の国立大学の数学科に入学。しかし、本人は、そこで出会った同級生たちの実力に驚いたようで、「とても数学では勝負できない」と、ほとんど学校に行かなくなってしまいました。
その後は、飲食店でのアルバイト三昧。髪を茶色に染め、服装も派手になりました。大学の近くにアパートを借りてひとり暮らしをしていますが、夜中に電話をかけても不在のことが多く、どこかを泊まり歩いているようです。たまに電話がつながったときは寝ているところを起こしてしまったようで、不機嫌で会話が成立しませんでした。アパートを訪ねてみたところ、酒やたばこが散乱し、心配な雰囲気でした。息子が次第に荒れた生活に入っていくようで、心配です。
A ご子息のことを伺っているうちに、かつて、加藤登紀子が歌った「ANAK(息子)」という曲を思い出しました。可愛い男の子が母の手を離れ、大人になって気難しくなって、ついに嵐の夜に家を出ていってしまったという歌詞です。
ご子息の場合も、いかなる生活を送っているのか、少々心配です。一応、「ANAK(息子)」の主人公のようにすさんだ生活を送っていないかは、遠くから見守っておく必要があるでしょう。
ただ、私の印象では、どちらかというと若者の一過性の熱病めいたものにすぎないように思います。
ご子息の場合、幼いころから知的な刺激を求める生活でした。数学の問題を解いて、これまでできなかったことが次々にできる喜び、文学書をひもといて、自分の知らない世界が展開していく驚き、そういった知的な楽しみを通して、自分自身の価値観をつくり上げていくようなところがありました。もともと凝り性だったのが、今は、少々退廃した生活に身を投じているのかもしれません。
しかし、こんな生活はいずれ飽きます。ご子息の知的な渇きは、堕落した生活によって潤されることはあり得ません。いずれは、彼本来の知的な生活に戻るでしょう。
かつて、ゲーテは、「才能を授かり才能に生まれついた者は、この才能に生きることが最も美しい生き方だ」(「ヴィルヘルム・マイスター」)と述べました。精神科医の立場から言っても、知的な人はその本来の知性を十全に発揮することこそが、もっともメンタルヘルスにいいのです。
ご子息自身が、数学少年、文学少年だった時代に、このような幸福を実感しながら日々を送っていたはずです。
今は、かつて情熱を注いだ数学への夢は破れようとしているようですが、それに代わる何物かを彼なりに見つけると思います。
ともあれ、学費を出しているのはご両親です。一度は、本人を実家に呼んで、「これからどうするつもりなのか」と尋ねてみても悪くないでしょう。ご子息なりに考えがあるかもしれません。
薬に頼らないこころの健康法Q&A