Q
長男は都内の高校を出て、関西の大学の工学部建築学科に進みました。高校3年間は美術部の活動で忙しく、あまり熱心に勉強していませんでした。将来をよく考えないまま理系クラスに進み、文系に転向しようか迷いつつ、そのまま理数系の科目を勉強して、センター試験を受けて、その成績で入れそうなところに出願して、入学してみたらそこは建築学科だったというわけです。もともと「何かになりたい」という強い思いもなく、入って1カ月もしないうちに「つまらないからやめたい」と言い出しました。将来のことをよく考えもしないで大学に進んで、今ごろになってツケが回ってきているようです。
A
大学に入るとき、明確な意思をもって学部を選ぶ学生は少ないはずです。それどころか就職の際だって、明確な意思をもって会社を選ぶとはかぎりません。
以前、ピーター・ドラッカーは、「最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事に就く確率は高くない」と述べましたが、大学選びも同じです。建築学科の新入生の中で、建築学が何かを知っている者は、高専出身者だけでしょう。普通科の高校に建築学という科目はないのです。
ご子息の学部選びにも、ドラッカーが「くじ引き」と呼んだことが当てはまります。ただ、それが「当たりくじか、外れくじか」は、ご子息自身が「建築学とは何か」を一通り知ってからでないと、そもそも判断できないはずです。
建築学の場合、構造、材料、設備などの工学的な側面を研究する分野と、設計、計画、意匠などの総合芸術的な側面を研究する分野とがあります。技術者として関わる場合と、建築家として関わる場合とでは、別の建築学があるといえます。建築学のすべてを面白いと思う人は少ないはずであり、皆、建築学のある側面に関心をもって、そこに関わっているのだと思います。
ともあれ、早々に退学届を出す前に、せっかく関西に行ったのですから、関西の建築の優れたものを自分の目で見てはどうでしょう。
たとえば、阪神間の六甲山麓には、明治の後期から昭和初期にかけて、後年「阪神間モダニズム」の名で懐古的に呼ばれることとなる建築文化が栄えました。商都大阪に蓄積された富と、港湾都市神戸から流入した外国文化とが融合して、日本建築史上の壮観というべき数々の建築物が造られました。
その代表は、西宮のカトリック夙川教会、神戸女学院、関西学院、芦屋のヨドコウ迎賓館、警察署旧庁舎、神戸の白鶴美術館、税関旧館、新港貿易会館、迎賓館須磨離宮などであり、これらの多くは戦災、震災を経て、依然として健在です。大学が忙しくならない1~2年のうちに、これらの建築の一つ一つを見て回ってはどうでしょうか。
ゲーテはかつて「趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみ、つくられる」(エッカーマン著「ゲーテとの対話」)と述べました。ご子息は元美術部員です。その感性をもって、一級の作品に接してみるべきだと思います。
関西の建築文化の最高のものに触れて、それでも「やはり建築はつまらない」と思うならば、諦めがつきます。建築の何たるかを知りもしないうちに、拙速に諦めることは、もったいないと思います。
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建築学科に進んだ息子が「やめたい」と言い出した