薬に頼らないこころの健康法Q&A

熊本地震が教訓 これからは支援側の寛容さと忍耐力が必要

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ

 熊本・大分を襲った地震から10日ほどが経ちました。被災者はそろそろ疲れがピークに達するころです。この時期、被災者を支援する私たちが覚悟しなければならない課題があります。それは、被災者が次第に気難しくなってきている可能性を含みおくことです。

 被災者のご友人・親族を激励したくて電話をかけてみたら、とがった言葉が返ってきたとか、イライラして八つ当たりされたといった経験をお持ちの人もいるでしょう。

 今、避難所の空気は、震災初期の温かく励ましあう雰囲気が徐々に薄らぎつつあります。避難所では、最初は被災者たちは「危機的な事態をくぐり抜けて、今、ここに死なずに生きている」といった感慨を共有していました。亡くなった友人、まだ行方不明の親族をおもんぱかってはいますが、それでもどちらかといえば、被災者同士が「みんなでこの危機を乗り切ろう」といった意識を共有していました。そして、食料を分け合い、毛布を貸し合い、お年寄りの手を引いてと、被災者全員がボランティア精神をもって助け合おうとしていました。

 しかし、このような時期も、1週間が過ぎ、2週間が過ぎするうちに、次第に限界に達してきます。皆、徐々にしゃべらなくなってきます。口をついて出る言葉といえば、愚痴と悪口ばかり。「いつになったら自衛隊は来るのか」「役場は何をやっているんだ」「東京のやつらはぬくぬくと過ごしてやがる」――そんな言葉が行き交います。

■支援とは被災者の難しい感情を克服すること

 被災者の中でも、運命に明暗が分かれてきます。親族が援助の手を差し伸べ、車に乗って、笑顔で立ち去っていった人もいます。行方不明だった家族と連絡が取れ、無事を確認し、涙ながらに抱き合っている人もいます。その一方で、自宅が完全に倒壊し、帰るところがなくなった事実を知らされた人もいます。「ご家族の死亡が確認されました」との報を受け取った人もいるのです。

 ボランティアとして現地に入る人は、被災者の神経を逆なでしないように慎重さが必要となります。被災者は援助を求めていますが、援助者に素直に感謝を表明できるほどのこころの余裕は持っていません。「どうせおまえらは帰るところがあるんだろう」と、そんな嫌みもつい言ってしまいたくなるような心境なのです。

 被災者の支援とは、この難しい感情を克服するところにあるともいえます。支援側が忘れてはならないことは、「この人たちが被災者だ」という自明の事実です。被災という出来事がなければ、こんなにもピリピリした状態になるわけがありません。この人たちは最初からこれほど気難しい人たちであったわけではなく、被災という不幸な出来事が、この人たちをこんなにも気難しい人柄に変えてしまったのです。

 被災者は皆、生身の人間です。突然、こんな理不尽な目に遭って、平静でいられるわけがありません。こういう、よく考えれば当然の心理に思いをはせれば、被災者のトゲのある言葉もまた無理もないものであることがわかるでしょう。

 ここで問われるのは、何よりも支援側の寛容さと忍耐力です。怒りの矛先が突然、自分に向かってくることもあります。でも、どうか驚かないでください。この感情は、あくまでも一時的なもの。被災者のこころの底からの思いではないととらえてください。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。