薬に頼らないこころの健康法Q&A

6年連続“総数減少”も…日本の自殺対策は成功しているのか

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ

 はたして、日本の自殺対策は成功しているのでしょうか。警察庁の速報によれば、2015年の全国の自殺者は前年と比べて1456人(5.7%)減の2万3971人。6年連続で減少となりました。

 思い起こせば、自殺者3万人という時代がありました。1997年からの15年間のことです。あのころを思えば、この2015年の数値は自殺対策が成功したようにも見えます。

 しかし、楽観は禁物です。この自殺者数の減少は、人口動態がもたらした偶発事にすぎない可能性もあるからです。

 44年前の1972年、井上陽水は名曲「傘がない」の中で、都会における若者の自殺増加を指摘しました。1997年に自殺者の総数は3万人を超え、2012年には自殺総数は15年ぶりに3万人を割りました。以来、自殺総数は減り続けています。これらの現象は、じつは人口動態学的にはたった一つの原因で説明がつきます。

 そのためには、①自殺には世代ごとに差があり、40、50代が好発年齢である②日本の人口ピラミッドでは1947年から49年までの3年間の出生数が際立って多い――以上の2点を思い起こすことが必要です。

■4年前に団塊世代が自殺好発年齢を通過

 1947年から49年までに生まれた「団塊の世代」は、出生数約806万人で、その後の3年間より24.3%も多く、近年の330万人前後と比較すると約2.5倍に相当します(厚生労働省「人口動態統計」)。陽水が「傘がない」を歌った当時は、団塊の世代は23~25歳。つまり、若者が急増した時代でした。

 20代は本来、自殺好発年齢ではありません。しかし、若年者の総数が増えれば、当然、若者の自殺数も増えます。つまり、「傘がない」の時代にあっては、自殺する若者が増えたというよりも、若者の総数が増えたので自殺する人も目立ってきたにすぎなかったのです。

 1997年には団塊の世代が、48~50歳となり、自殺好発年齢に達しました。以来、この世代が全体を押し上げ、自殺者3万人時代が続いたのです。

 そして、2012年、団塊の世代は63~65歳となり、自殺好発年齢を通過しました。その結果、ハイリスク人口の減少に伴って自殺者数も減ったというわけです。

 自殺者数は今後も減り続け、おそらくは再び3万人を超えることはもうないでしょう。なぜなら、団塊の世代並みの巨大な人口を擁する世代は今後出そうにないからです。1997年からの15年間ほどに自殺好発世代が大量発生する時代もまた来ないと思われます。

 年齢階層をそろえて死亡率を再計算した年齢調整死亡率では、日本はこの40年間ほとんど変化していません(精神科医・冨高辰一郎氏の指摘)。年齢を調整しない粗死亡率、まして人口すら考慮に入れていない自殺総数は、増えても悲観にはあたらず、減っても楽観は禁物です。

 今後、自殺対策の成否は、ある特定の年代において「人口当たりの死亡率がどう推移しているか」を見なければなりません。

 その意味で危惧すべきは若年者です。舞田敏彦氏(編集部注=大学講師で「47都道府県の子どもたち」の著者)の分析によれば、10代の自殺率は1990年以降一貫して上昇し続けているとされます。そういえば、5月9日の夜も、東京の東急大井町線荏原町駅で女子中学生2人が亡くなりました。今後も若者たちの「こころ」を見守る必要はありそうです。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。