1回目のがんの時は、「勝った勝った」とまるで子供でしたね。でも、相手は手ごわかった。
最初は食道がんで、2012年、74歳の時でした。口臭が気になるようになり、歯磨きをして口をゆすぐと、吐き出した水が薄茶色になる。病院で調べたら4.5ミリのがんが巣くい、余命8カ月と宣告されたんです。
ところが、私は27歳の時の誤診が原因で心室の一部が壊死しているため、そう簡単に手術ができる体ではない。それで、iPadで見つけたのが陽子線治療でした。近県では国立がん研究センター東病院(千葉)と、筑波大学付属病院で治療が受けられるとありました。東病院はホームページに直通番号が書いてあり、問い合わせると担当医から折り返し電話があったんです。私はだれの紹介もなく千葉に行き、30回の陽子線治療でがんが消えました。
これで終結と思っていたら3年後、今度はリンパにがんが見つかった。気管支に近く、進行するとがんが気管の膜性壁を食い破る「穿破」が起きるというのです。穿破が起きたら長くて4日でアウト。しかも、前回のダメージが残っているため、今度は陽子線をメーンにできません。検討を重ね、切除手術を受けることにしました。
ところが、いざ開胸してみたら、がんは想定以上に気管支に密着していて、何もせず閉じるしか手はありませんでした。しかし閉じる前、執刀医はある種のひらめきで、リンパ節にあるがんを気管支側に押している“静脈”をパチンと切っておいたそうです。がんを圧迫しないようにすれば、リスク回避ができるのではないかというわけです。
結局、穿破しなかったのはこの“神の一手”のおかげでした。単に現状に対処するだけでなく、経験に裏付けされた“ひらめき”を駆使して先手を打つ。これが名医ですよね。おかげで今回も命拾いしました。
■抗がん剤の副作用でうつ症状
その後は、抗がん剤をメーンにしてがんを叩くことになりました。嘔吐や脱毛といった副作用は仕方ないと思っていましたが、4回目の抗がん剤治療で心が折れ、死にたくなった。自分らしからぬ状態だったので、抗がん剤の影響ではないかと薬剤師に相談してみると、「ままあります。先生に聞いてみます」と言われました。
あまり知られていないけれど、実は抗がん剤の副作用にうつ症状もあったのです。そして、私がまさにそうでした。抗うつ剤を処方してもらったら、苦しみが半減しました。
都合、5回の抗がん剤治療と12回の陽子線治療でがんは消えました。
■慌てず、うろたえず、シンプルに
がんは根性で勝てるものではないと思います。がんがつらいんじゃなくて、私のうつ症状のように“抗がん剤がつらい”ってこともあります。そういうつらい時こそ、薬の出番。何が問題か、根本の見極めが必要です。
切るしか選択肢はないのか、この病院でいいのか。手術は成功したといいつつ、術後に死ぬこともあります。名医であっても、自分の病状と相性がいいかどうかはわかりません。慌てず、うろたえず、シンプルに「自分が生きるためにすることは何か」を突き詰めて考えるべきです。
もちろん、病気を治してくださるのはお医者さまたちです。最初にがんを見つけてくれた医師、実際に治療してくれた医師、皆さんが連携してくれたおかげで今がありますから。
今は2週に1回、気晴らしに銀座のクラブに行く程度。ほかに趣味がありませんからねえ。銀座で仲間たちと会ってするおしゃべりが最高の息抜きです。
▽なかにし・れい 1938年、旧満州・牡丹江省(黒竜江省)生まれ。大学在学中よりシャンソンの訳詞を手がけ、「知りたくないの」(歌・菅原洋一)を機に作詩家に。昭和を代表する楽曲を手がける。陽子線治療で食道がんが消えるまでの体験記「生きる力 心でがんに克つ」、その後の再発がんとの闘いを記した「闘う力 再発がんに克つ」(ともに講談社)が発売中。
独白 愉快な“病人”たち