独白 愉快な“病人”たち

タレント生稲晃子さん 焦りと恐怖が高まったがんの再々発

生稲晃子さん
生稲晃子さん(C)日刊ゲンダイ

 ここ5年の間に、組織検査のための部分切除も含め、5回も手術を受けました。右胸の全摘出はさすがにショックでしたけど、さらに強烈だったのは乳房再建のために皮膚を伸ばす際の痛みでした。もう、再建を後悔したくらい。でも、今はやってよかったと思っていますよ、小さいながらも(笑い)。

 始まりは2011年1月に受けた人間ドックです。前の年に地域の健康診断に行けなくて、でも「1年ぐらい別にいいかな」と思っていたところ、かかりつけの医師から「年齢も年齢だから人間ドックを受けた方がいいですよ」とクギを刺され、渋々ながら足を運びました。

 地域の健診ではマンモグラフィー検査だけですが、人間ドックではエコー検査もあって、両方とも受けた結果、エコーで右胸に腫瘍が見つかったんです。体質や個人差で見つかりやすさも違うようなので、やはり両方受けるのが理想のようです。

 がんと診断されて1度目の手術は、1センチに満たない小さな腫瘍の摘出でした。転移の可能性があるといわれる浸潤がんではありましたが、ステージ1ということで胸の形に変化はなく、3センチぐらいの傷痕も乳輪に沿ってほとんどわからないものでした。3泊4日ほどの入院で、レギュラー番組も休まずに済んだのでひと安心。その後1カ月間、放射線治療を受けるために毎日通院したほかはホルモン療法の薬だけで、抗がん剤は不要でした。

 再発が見つかったのは翌年です。右胸にニキビのようなものができて、それが悪性腫瘍でした。ただ、幸いにも皮膚に出てきたものだったので、部分麻酔をして切っておしまい。外来手術でした。先生と話しながら、手術中の音や電気メスで切除しているときのなんともいえない“におい”を経験として楽しんだ感じです(笑い)。その時も、ただ“傷が増えたな”と感じた程度でした。

 しかし、ホルモン療法と定期的な検診を続けていた13年10月、医師の触診で再々発が発覚したんです。さすがに焦りと恐怖が高まりました。いよいよもって、「これはよほどタチの悪いものなのだろう。覚悟しなきゃ……」と思った瞬間です。

「まれに良性のこともあるから」ということで組織を取る部分切除を経て、その年の12月末に右乳房を全摘出する手術を受けました。年末年始でレギュラー番組の収録に少し時間が空くタイミングでした。

 再々発の告知から数カ月間は、人生最大に落ち込みました。「私はいったいどんな悪いことしたんだろう……」と自問自答したり、「せっかく産んでくれたのに……」と亡き母に対して申し訳なく思ったり、自分の右胸に謝ったり……。手術前には、「次に見るときは見えなくなっているのか」と右胸がいとおしくなりました。麻酔がかかる寸前まで、胸に触れていたほどです。

■入院前に7歳娘と銭湯に

 忘れられない出来事は、入院する前に娘と銭湯に行ったことです。当時7歳だったかな。娘は以前から「銭湯に行きたい」と言っていたんですが、手術で胸を取ってしまったらもう行けないかもしれないと思ったんです。そこは昔ながらの銭湯で、お釜型の古~いドライヤーがあって、2人で写真を撮ったりして(笑い)。一番幸せで一番悲しい時間でした。

 でも、娘のために命を優先するのは母親として自然なことです。全摘出に迷いはありませんでした。ただ、最初にお話ししたようにつらかったのはそこからです。乳房の同時再建手術の際、胸の筋肉の下にエキスパンダー(皮膚拡張器)という袋のようなものを入れて、皮膚を伸ばすのがとにかく痛かった。

 早い人は半年ぐらいで伸ばした皮膚が落ち着いて、シリコーン製のインプラントに入れ替えると言われます。でも私の場合、放射線治療をしていた影響で伸びにくい皮膚になっていたそうで、2年間かかりました。圧迫感とともに、ズキンズキンと24時間ずっと寝ても起きても痛い。最終的には皮膚が伸びずに肋骨がゆがんでしまったほどでした。でも、今は無事に再建手術も済み、つらかったことを忘れる瞬間もあるんですよ。

 病気のことは伏せたまま、お仕事を休まなかったのは、せっかくいただいた仕事を自分からお断りするなんて考えられなかっただけです。でも結果として、それが私には大事なことでした。逆境の中で、自分をニュートラルに保つのは難しいことですけど、病気を一切伏せていたことで普通に仕事ができ、普通に笑顔が出る生活が送れました。すべてを知っている家族にも特別扱いはされなかったし、本当にありがたい。

 病気を経験して、ストレスをためない性格になりました。以前は「自分を追い込むことが正しい生き方だ」と思っていたほどでしたから、この発想の逆転は病気のおかげですね。感謝しています。

▽いくいな・あきこ 1968年、東京都生まれ。86年にアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーに加わり、87年に「うしろ髪ひかれ隊」として歌手デビュー。その後、女優、司会、リポーターなど幅広く活躍している。2003年に結婚し、06年には女児を出産した。最新著書「右胸にありがとう そしてさようなら」(光文社)が発売中。