独白 愉快な“病人”たち

結核、紫斑病乗り越えた 医師・梅木信子さんの長寿の秘訣

現在96歳にして現役医師の梅木信子さん
現在96歳にして現役医師の梅木信子さん(C)日刊ゲンダイ

 最初の大きな病気は、大学卒業間際の23歳のときにかかった「結核」でした。わが家は、姉、母、弟とみな結核を患ったので、看病していた私ももらったんだと思います。レントゲンを撮ったら肺に空洞が見つかり、医師から手術すると言われたんだけど、「切らないで」って頼んで放っておきました。あとでレントゲン撮ったら患部が固まっていて、そのままです。

 次は、同じ23歳のときに「盲腸」になりました。疎開先の山梨の病院でインターン生だった頃です。友達が熱と痛みが出ているときに小川の水で冷やしてくれてね。でも、手術の前に体をきれいにしなきゃと長時間ぬるま湯につかっていたら、痛みが消えちゃった。それで手術はやめました。

■結核、盲腸、紫斑病を経験も「どこも切らずに済んでいる」

 ただ、それからまた何年かおきに痛みが出るので、「切ります~」って外科の先生に電話をすると、また、お湯に入っているうちに痛みが消えて……。そんなことを数回繰り返して、結局、盲腸はそのままです。炎症はぬるま湯につかると寛解するんですよ。

 その後は「紫斑病」になりました。私は果物を食べなかったから、医師からは「夏みかんを食べなさい」って言われたけどね、おいしくないんだもの。結局、果物は食べないまま、これも自然に治っていました。

 30代前半には、放っておいた結核の空洞手術を受けないかって、当時勤務していた病院の院長先生から言われてね。それで、お腹から空気を入れて肺を押し上げて空洞を潰す手術をしたら、肺の方が潰れちゃった。“試し”の治療法だったみたいで、先生が手術の途中で中止したんです。でも、随分たってからレントゲンを見たら空洞がなくなっていたところをみると、手術の効果があったんだと思います。

 こんな感じで、私自身は病気になっても治療らしい治療はしていないんです。ですから、患者さんにも薬を処方しません。漢方は生薬だから害が少なかったけど、今のお薬は“石油”から作るでしょ。副作用が大きいのよ。だから私自身も、短期間でしか服用しない。この年だと血圧も上がるけど、そういう時はちょっと降圧剤を飲んですぐやめます。

 薬を出せば病院は儲かるんですよ。病院経営を考えてもっと処方箋出した方がいいって、心配して下さった先生もいました。けどね、私は別荘もいらないし、遺族年金という形で亡き人に守られているから十分です。それより、個人病院の役目は交通整理。疑いがあれば専門医に紹介することが大事だと思っています。

 今は、健康診断で「どうしても」ってお願いされた時しか診察はしていませんけどね。だって、私が行ったら“老害”よ。私が転ぶんじゃないかって、周りが余計な心配しなきゃいけなくなるもの。

 最近は、年寄り病の「脊柱管狭窄症」ですね。おじぎすると治るから、時々、おじぎしてます。それと、舌の味蕾が減って味が濃くなりがちだから、なるべく薄味にするようにしています。メガネは“シミ隠し”でかけています。かけなくてもあまり変わらないのよ。

■あと1年、生きれば幸せ。それまでに“宿題”を終わらせます

 長寿の秘訣? みなさんに「自然に生きなさい」って伝えたいですね。私は自然児、疲れたら寝る、お腹が減ったら食べる。よく年寄りは居眠りしてるでしょ? あの、ほんの数十分で数時間分の効果があるんですよ。眠くならなきゃこれ幸い、人生が長くなると思えばいいじゃない?

 大学の同級生は150人いたのに、もう8人しかいないの。首席だった人がね、いまは認知症だそうです。私はビリッコでした。頭の良さと、健康は関係ないのね。

 ただ、私はあと1年生きれば幸せ。その間に、お墓を処分して、財産を処分して。でも、お金は難しいわね。姪から「残していかないで」って言われるけど、いざ足りなくなったら困るしねぇ。あとは気になることはもうありません。(聞き手・岩渕景子)

▽うめき・のぶこ 1920年、大分県生まれ。23歳の時、結婚1カ月前に戦争で婚約者を失い遺影と結婚。50年、東京女子医専(現・東京女子医大)卒業。勤務医を経て、60年、40歳のときに東京・日野市で開業し89歳で閉院。現在96歳にして現役医師。近著に「ひとりは安らぎ感謝のとき」(KADOKAWA)がある。