天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

虚血性心筋症にバイパス手術が有効とは言い切れない

順天堂大学の天野篤教授
順天堂大学の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

「虚血性心筋症」という病気があります。心筋=心臓の筋肉の衰弱によって発症する疾患で、心筋梗塞の発作を起こした後に発症するケースが多くみられます。心筋が衰弱すると、全身に血液を送り出す心臓のポンプ機能が働かなくなり、心不全を招いて死に至ることもある深刻な病気です。

 この虚血性心筋症に対し、「冠動脈バイパス手術と薬物治療を併用すると、薬物治療だけの患者よりも、10年間の全死因死亡率や心血管死亡率が2~3割ほど減少する」という研究が4月に米国で発表されました。とはいえ、これで虚血性心筋症の患者さんに対し、積極的に冠動脈バイパス手術が行われるようになるかといえば、まだなんともいえないというのが正直なところです。

 これまでも、薬剤による内科治療と冠動脈バイパス手術を併用すると、虚血性心筋症の患者さんの生存率が多少なりとも改善することはわかっていました。しかし、手術をしたから薬が効くようになったのか、それとも薬の効果によって本来の血流がコントロールされるから生存率が上がるのか、どちらによるものなのかがまだハッキリわかっていません。

 手術と同時に、薬剤によって冠動脈の動脈硬化が進むリスク因子を減らす治療をしているわけですから、これだけで、冠動脈バイパス手術を併用すると明らかに効果的だとはいえないのです。

 また、虚血性心筋症が急速に進行してしまうような患者さんを、あらかじめ予測できないこともネックになっています。

 たとえば、糖尿病や人工透析を行っている患者さんの中には、冠動脈バイパス手術をして心臓への血行を再建しても、どんどん心臓の筋肉がダメになっていく=虚血性心筋症が進行していく人がいます。

 そうした患者さんに対し、がんの腫瘍マーカーのように手術の前に血液検査をして、「このマーカーがあるから心臓の働きがどんどん悪くなっていきますよ」と予測できる診断法があれば、積極的に冠動脈バイパス手術を行う意義は大きいでしょう。しかし、現状ではそうかどうかが分からないため、患者さんに負担をかけるだけの無駄な手術になってしまう可能性があるのです。

 あらかじめ、すべての患者さんに対して冠動脈バイパス手術を行って、長期的に問題が出ないようにすればいいのではないかと思うかもしれません。しかし、手術でどれだけ血流を改善しても、心臓の筋肉自体がダメになってしまうケースは少なくないのです。最終的には、心筋症という病気はどんな治療をしても心筋がダメージを受けていって心臓の機能が衰え、日常生活を支えられなくなってしまう病気です。心筋は一度ダメになってしまうと元には戻らないので、病気そのものを治すことは困難です。現状では、心臓移植か、埋め込み型の補助人工心臓に頼るしかありません。

 ただ、現在の日本では心臓移植のハードルが非常に高く、実施される例も極めて少ないといえます。補助人工心臓は保険適用外で1800万円ほどの費用がかかります。医療費の高騰が問題視され、保険制度の破綻が取り沙汰されている現状では、補助人工心臓が保険診療として承認されるのは難しいといえます。仮に認められるとしても、まだ時間がかかるでしょう。

 そのため、今、心筋シートを使って心臓の筋肉を再生する再生医療の研究が進んでいます。すでに、患者さんの脚の筋肉から細胞を培養し、シート状に形成したものを心臓に移植する臨床試験が行われています。また、iPS細胞を心筋細胞に変化させてシート状にした後、患者さんの心臓に張り付ける治療を行う臨床試験の申請も検討されています。

 内科治療、手術、再生医療など、虚血性心筋症を治療する手段がひとつでも多くなっていくことを期待しています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。