薬に頼らないこころの健康法Q&A

しつけと虐待の“狭間” 親亡き後も人生を生き延びるために

井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授
井原裕 独協医科大学越谷病院こころの診療科教授(C)日刊ゲンダイ

 先日、発生した北海道男児置き去り騒動で、「しつけか虐待か」というテーマがさかんに論じられることとなりました。

 優しさだけでは子供は成長しません。時には厳しさも必要です。しかし、この厳しさの加減というものが、とても難しい。

 私の少年時代は、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という食品会社のCMがヒットしました。険しい山道を懸命に登る息子、それを後ろから見守る父親。厳しい試練を課しつつも、愛情を持って育てようとする父の姿がそこにはありました。

 しかし、こういう「たくましく育てよう」という姿勢がいきすぎると、「巨人の星」の星一徹のようになります。彼は幼い飛雄馬に「大リーグボール養成ギプス」なるものを着けさせていたわけで、あれでは筋・骨の成長は阻害されてしまいます。

 この「巨人の星」では、「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という逸話が出てきました。ここで獅子は、這い上がった子のみを育て、そうでない子はそのまま見捨てたのでした。

「巨人の星」と同時期に、石原慎太郎は「スパルタ教育」という本を出しています。スパルタは古代ギリシャの都市で、ここでは子供は生まれてすぐ長老の元に連れていかれ、そこで「病弱・ひ弱」と判断されると川に捨てられました。そして生き残った子供たちも、7歳になったら軍隊に集められ、毎日、丸刈り、はだしで訓練させられたといわれています。

 日本にも子供を一度捨てる風習がありました。これは、取子と呼ばれるもので、捨てられてもたくましく生き延びた子は強いから育てていこうというものです。

 例えば、子供を便所の板の下をくぐらせてから、道に捨て、それを他の人が拾ってその人から親が子をもらい受けるといった儀式です。今でも、高齢者の中に「捨吉」や「捨蔵」など、「捨」という漢字を使った名がありますが、これは取子の名残と思われます。

 大リーグボール養成ギプスも、獅子の逸話も、スパルタの教育も、取子の風習も、どれも今日の視点では児童虐待です。しかし、いずれも「子供をたくましい大人に育てる」という課題に向き合った結果でした。

 この少子化の時代にあって、「子供をたくましく育てる」ことは、存外に難しい課題です。私は日々、繊細すぎる少年・少女たちと接しています。学校に行かず、引きこもってしまった生徒たちです。私が彼らに言っていることは、「お父さん、お母さんのもとを離れる日は遠くない。これから、君が自分の足で人生を歩いていかなければいけない」ということです。

 私は、彼らを安心させるとか、癒やすといった意識は持っていません。むしろ、危機感を持たせるようにしています。「いずれ一人で生きていかないといけない。このままじゃまずいと思うぜ」と何度も言います。

 北海道の父親を非難することはたやすいことです。でも、「おんば日傘」方式の過保護もまた弊害があります。いずれ父も死に、母も死にます。そうして一人になってからも子供は自分の足で生きていかなければなりません。親が生きている間に、いかにして一人で生き延びていく力を培っていくか、そこには子にとってだけでなく、親にとっても厳しい課題が秘められているように思われます。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。