天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「ロス手術」は将来的に再手術が必要になることもある

順天堂大学の天野篤教授
順天堂大学の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

「ロス手術」と呼ばれる術式があります。主に大動脈弁疾患(大動脈弁狭窄症・大動脈閉鎖不全症)に対して行われる手術で、1960年代に英国の心臓外科医ドナルド・ロスが考案しました。

 傷んでいる大動脈弁をすぐ隣にある自身の肺動脈弁と取り換え、取り除いた肺動脈弁には別の弁を置換します。通常は亡くなられたドナーから生前の同意を得て採取した「凍結大動脈弁」(ホモグラフト)という特殊な弁を解凍して植え付けます。病的だった大動脈弁には自身の弁を移植するため、体の成長に合わせて大動脈弁も成長が見込めます。そうしたメリットから、主に若年者を対象に行われます。ただし、冠動脈の処置や広範囲の剥離などが同時に必要になるため、手技が複雑で難易度が高い手術といえます。弁の耐久性によっては、将来的に再手術が必要になる可能性もあります。

 先日、かつてロス手術を行った45歳の男性患者さんの再手術を行いました。最初に手術したのは25年ほど前で、まだ私が新東京病院に勤めていた時代です。当時、患者さんは大学2年生で、大動脈弁閉鎖不全症に対し、前述したホモグラフトを使った弁置換術を行いました。

 ホモグラフトは弁の周辺に血栓ができにくく、術後に血液をサラサラにする抗凝固剤を飲み続けなくてもよいというメリットがあります。また、細菌などの感染に強いため、感染性心内膜炎など感染性の疾患に対して優れています。しかし、現在の日本では外国ほど臓器提供が普及していないことから限られた施設でしか入手が困難です。東日本では東大病院、西日本では国立循環器病研究センターにある「ホモグラフトバンク」に問い合わせ、提供してもらえる状況でない限り、使うことができません。そのため、一般的な治療には使用されていないのが現状です。

 そうした状況もあって、近年はホモグラフトがなくても対応できる術式が工夫されています。ホモグラフトが活躍するのは、感染性の心臓病やロス手術がほとんどですが、代用血管や感染症対策の進歩によって、ホモグラフトでなくても乗り切れるようになってきているのです。

 先ほどお話しした男性患者さんに使用したホモグラフトは、術後11年ほどで傷みが酷くなり、次にロス手術を行いました。大動脈弁を肺動脈弁と交換し、取り除いた肺動脈弁には、新たなホモグラフトを使いました。

 その2度目の手術から14年後の今年、再び大動脈弁の傷みが進んだため3回目の手術が必要になり、今度は通常に使用されるウシの心膜でつくられた生体弁に交換しました。25年間で3回の手術を行ったことになります。

■「TAVI」の登場で若年者でも生体弁を使うように

 もし、この男性患者さんの最初の手術をいま行うとしたら、ホモグラフトではなく生体弁を使うでしょう。かつては、若年者に生体弁を使うと石灰化が早く進む欠点がありました。35歳以下なら早い人で10年以内、35歳以上は15~20年ほどで劣化してきます。そうなったら、再び弁を交換しなければなりません。しかし近年は、石灰化を抑制すると考えられるコレステロール低下剤「スタチン」を使うことで劣化の速度を遅くできるようになりました。

 それでも、さらに数年後には再手術が必要になりますが、いまは「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)という血管内治療によって新たな生体弁を留置する方法が登場し、患者さんが若くても生体弁を勧めるケースが増えました。再び開胸して手術する負担をかけず、新しい生体弁に交換することが可能になってきているのです。

 25年前にいまの治療法があれば、先ほどの男性患者さんは、今ごろTAVIで弁の交換をしているかどうかという段階なはずです。

 余談ですが、ハリウッド俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー(68)は、1997年に大動脈閉鎖不全症で弁置換術を受けています。当初はロス手術が行われる予定でしたが、うまくいかなかったため術中に変更され、生体弁が使われました。こちらも、弁の交換が必要になったときはTAVIが行われるかもしれません。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。