薬に頼らないこころの健康法Q&A

「震災ボランティア」は日本再発見のまたとない好機

井原裕教授(独協医科大学越谷病院こころの診療科)
井原裕教授(独協医科大学越谷病院こころの診療科)(C)日刊ゲンダイ

 4月に発生した熊本地震から2カ月以上経過しました。被災地支援活動はゴールデンウイークがピークでしたが、ボランティアたちの波もすでに過ぎ、被災地はセカンドステージに入ったといえるでしょう。

 ボランティアの方々の多くは、「熊本」「阿蘇」「湯布院」といったビッグネームは知っていても、「益城町」や「西原村」といった地名は、初めて知ったことでしょう。震災当時のテレビの画面にはがけ崩れの悲惨さが何度も映し出されましたが、その背景には緑の稜線と穏やかな谷が連綿とつらなり、震災前はさぞや美しい土地であっただろうと思わされます。ついでに益城町について調べてみた人もいたことでしょう。実際にかの地に赴いてみて、支援のさなかにも、この九州山地の一地域について多くを知ったに違いありません。熊本・大分について親しみが湧いてきたころです。ここでボランティア行を一時的な被災地ツーリズムに終わらせることはもったいない。今回の経験でできた縁を皮切りに、今後も長く被災地に関わってはどうでしょう。今度はボランティアでなくてもいい。純然たる観光旅行でもいいのです。

 熊本、阿蘇、九重といった今回被災した地域には、九州を代表する観光地が並んでいます。山都町には「通潤橋」という石造りのアーチ橋(一部に震災被害あり)があって、こちらは江戸末期に肥後の石工集団によって造られました。NHKの「新日本紀行」でも何度か紹介され、豪快な放水の風景で知られています。

■散財もまた被災地支援

 被災地の人々と接しながら、この地の歴史を学び、文化に触れるのも悪くありません。温泉につかるのもいいでしょう。各地の名物に舌鼓を打つのも大いに結構です。そうして、できることなら財布が空になるまで熊本・大分を遊びつくしてください。

 あなたの落としたお金のすべては、被災地の復興のために役に立ちます。被災地支援の一環として存分に散財していただきたいと思います(笑い)。自分が楽しみながら、無理のない範囲でさりげなく人のためになる行動をとる。これこそが最高のこころの健康法でもあります。

 私自身はといえば、東日本大震災後に始めた被災地医療支援をいまだに続けています。震災の年に地元の医師会の事業として独立行政法人国立病院機構花巻病院に派遣され、それを引き継ぐかたちで、独協医科大学越谷病院から被災地医療支援として派遣されています。長くかかわることで岩手への愛着も湧いてきました。私が医師人生を終えるまでに、東北に「もはや震災後ではない」といえる時代が訪れることはないでしょう。できるだけ長く、可能なら生涯にわたって、東北への医療のお手伝いを続けたいと思っています。

 東日本大震災であれ、熊本地震であれ、普段メディアに出ることのない地域が甚大な被害を受けました。しかし、報道は震災の事実を超えた深い意味を私たちにもたらします。「日本は広い」という誰もが忘れていた自明の事実です。こんな海沿いの町にも、あんな山深いところにも、人々が住み、生活を営んでいたのです! そして、そこには悲しみもあれば、喜びもあり、歴史もあれば、文化もある。震災ボランティアとは、実は日本再発見の機会でもあるのかもしれません。

 さて、1年半にわたって続けてきた本紙連載も、今回をもって終了とさせていただきます。読者の皆さまのおかげで、こころの健康にかかわる多くのことを考える機会をいただきました。ありがとうございました。

井原裕

井原裕

東北大学医学部卒。自治医科大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学大学院博士号取得。順天堂大学医学部准教授を経て、08年より現職。専門は精神療法学、精神病理学、司法精神医学など。「生活習慣病としてのうつ病」「思春期の精神科面接ライブ こころの診療室から」「うつの8割に薬は無意味」など著書多数。