天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

心臓の分野でも医療の「再生産性」を見直すべき

天野篤・順天堂大教授
天野篤・順天堂大教授(C)日刊ゲンダイ

 画期的ながん治療薬といわれる「オプジーボ」(一般名ニボルマブ)が話題になっています。がん細胞が持っている“人間の免疫からの攻撃をかわす働き”を阻害してがんを消滅させる薬で、切除不能の「悪性黒色腫」(メラノーマ)、切除不能の「非小細胞肺がん」が保険適用の対象になっています。

 その効果とともに話題になっているのが高額な薬価です。オプジーボは1瓶(100ミリグラム)が72万9849円で、非小細胞肺がんの患者さん(体重60キロ)に1年間投与(26回使用)すると、約3500万円かかります。

 医療費が一定額を超えたときに自己負担分が軽減される「高額療養費制度」を利用すれば、患者さんの負担は月8万円程度です。しかし、実際にかかっている薬剤費3500万円との差額分は、国民が負担している健康保険料と税金で賄われます。

 現在、日本の医療費は全体で約40兆円です。仮に、13万人いるといわれる肺がん患者のうち、10万人にオプジーボを使ったとすると、薬代だけで年間3兆5000億円もの医療費が必要です。これでは、日本の保険制度はパンクしてしまいます。そのため、薬価の見直しも含めて議論されているのです。

 心臓病の分野でも、同じように改めて考えなければならない問題があります。

 これまでも何度か取り上げてきた「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)という新しい治療法もそのひとつです。

 高齢化が進んだことで増えている大動脈弁狭窄症の患者さんに対し、カテーテルを使って人工弁を留置する治療法で、13年10月に保険適用になりました。

 胸を切開しなくて済むうえ、外科手術のように人工心肺を使って心臓を止める必要もないので、患者さんの負担が少なく済みます。これまで手術が受けられなかった患者さんにとって、画期的な治療法です。

 しかし、TAVIの医療費は高額で、1人当たり約600万円かかります。自己負担分との差額分は、やはり健康保険料と税金で賄われています。一方、大動脈弁狭窄症に対する従来の外科手術にかかる医療費は、入院費も含めて1人400万円程度です。TAVIの3分の2程度で済む計算になります。

 今のところ、TAVIの対象になるのは、高齢者、過去に開胸手術を受けたことがある、肝臓疾患やがんなどの合併症があるなど、従来型の開胸手術リスクが高い患者さんです。しかし、これが仮に、外科手術が可能だったり、薬物治療で問題ない患者さんにまでTAVIが行われるようになったら、“ムダな治療”によって日本の医療費をますます圧迫することになってしまいます。

 オプジーボに比べれば、文字通りケタ違いに小さな金額ですが、ここで考慮しなければいけないのは「医療の再生産性」です。現在、TAVIは「1年以上の延命効果が予想される患者」に対して適用されていますが、たとえば80~90歳以上の高齢者に対して600万円をかけて治療を行い、治療後1年で亡くなってしまった場合、費用対効果は極めて低いことになります。

 一方、50~60代の肺がん患者に対し、年間3500万円かけてオプジーボを投与して有効だった場合、社会復帰した患者さんは、そこから20年近く働くことも可能です。この場合、再生産性は高いといえます。現在のTAVIの適用が果たして適切なものなのかどうか、改めて考える必要があるのです。

 病気で苦しんでいる患者さんからしてみれば、まるで切り捨てられているように感じるかもしれませんが、それは違います。現在の保険制度が破綻してしまったら、満足な治療を受けられなくなったり、保険料の負担が増えてしまったり、結局は自分にしわ寄せが来ることになるのです。

 私は、「すべての国民に一定水準以上の平等な治療を提供する」という理念を原則にしている日本の国民皆保険制度は素晴らしいと考えています。自分や家族もその恩恵を受けたから今があるし、心臓外科医として全力でこの分野での恩返しを誓ったという経緯もあります。だからこそ、制度をどうやって維持していくのかについて、医師も患者さんも真剣に考えなければなりません。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。