ギラン・バレー症候群 最善の治療へ知るべき5つのこと

横になって絵を描けるようになったのは発症4年目(たむらあやこさん)
横になって絵を描けるようになったのは発症4年目(たむらあやこさん)/(C)日刊ゲンダイ

 闘病生活を描いた漫画「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」が話題になっている。著者は元看護師。医療のプロの目、患者の目双方から見た「よい医療を受けるために知っておくべきこと」を聞いた。

 著者のたむらあやこさん(36)が、国が指定する難病「ギラン・バレー症候群」を発症したのは22歳の時だった。風邪などの後、自身の抗体が神経を攻撃することで起こる自己免疫疾患だ。

 40度以上の高熱、嘔吐、腹痛、発疹、足の脱力、感覚麻痺……。薬が全く効かず、たむらさんは看護師の経験から、命にかかわる病気を恐れた。入院し、十二指腸潰瘍、髄膜炎の診断を経て、腰椎穿刺(脳脊髄液検査)からギラン・バレー症候群が判明した。

 ギラン・バレー症候群について「3~6カ月でほぼ完全に治る」と説明されるケースも多いが、たむらさんは、失神や昏睡の意識障害、えび反るほどのけいれんや、「全身を切り裂かれ、ねじられ、骨から身が剥がれ、爪は剥がれ、内臓はちぎれ、という痛み」が24時間続き、嘔吐を繰り返した。

 息が吸えない、体温調整ができない、便・ガスの停止。泣きたくても涙腺の異常で涙が出ず、目や頭に痛みが走る。2年近く入院し、退院後も痛みなどから睡眠も取れない寝たきり状態が続いた。好きな絵をなんとか描けるようになったのは発症から4年目で、朝までようやく眠れるようになったのは5年目になってからだ。

 一時は「これ以上よくならない」と主治医に告げられたが、前向きにリハビリを重ねて寛解。漫画家としてデビューし、連載を持つまでに復活した。当時を知る人は「現在の姿を全く想像できなかった」と話す。

■医師の話は“話半分”に聞く

 難病と闘う中で、たむらさんが痛感したのは次の5つだという。

①具合の悪さは隠さず医師に訴える

「医師が察してくれるとは限らない。私は“同じ医療関係者に迷惑をかけたくない”と黙ってしまいがちでしたが、母が何度も医師に訴え、病名が判明した。そうでなければ、なかなか病名が分からなかったかも」

②症状は大げさなほどに伝える

「控えめに伝えれば、医師もその言葉通りに受け止めてしまう。特に痛みは伝わりにくい。我慢せず、騒いでもいいから、ここが痛いと伝えた方がいい」

③さまざまな制度を健康な時から調べておく

「治療にはお金がかかります。高額療養費制度などを教えてくれる病院もあれば、そうでない病院もあります。自分や家族が調べなければ、治療費の負担が大きくなり、『もう受けられない』となるかもしれません」

 申請方法も煩雑。難病や重大病は、だれにでも発症する可能性がある。病気になった時どうするか? 健康な時から調べておいた方がいい。

④医者の話は話半分で聞く

「医者は医学的見地に立って物事を言い、また、むやみに期待を持たせることは言えない。医者の話は事実であっても、この先どうなるかはだれも分からない。治らないと言われても諦めるのではなく、話半分くらいで聞く。現実を受け入れつつ、諦めないことが大切です」

⑤好きなことを無理にでも見つける

 闘病中、病に打ちひしがれ、希望を失う人をたくさん見てきた。特に男性に多かったという。

「好きなこと、やりたいことがあれば、それが行動につながり、動くからお腹が空き、食べるから元気が出て、より行動的になる。好循環で病状がよくなる人もたくさんいます。無理にでも好きなことを見つけるのは非常に重要です」

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