独白 愉快な“病人”たち

アッシャー症候群のジョー・ミルンさんは聾盲者メンターに

ジョー・ミルンさん
ジョー・ミルンさん(C)日刊ゲンダイ

 私の耳が聞こえていないと母が気づいたのは、生後16カ月の時だったそうです。補聴器をつけても、かすかな振動の違いを感じるだけで音は聞こえません。

 しかし、母は、姉や妹と同じようにかわいい服を私に着せ、普通の子供と同じ教育を受けさせました。手話を習い、障害児のための学校に通う選択肢もありましたが、「自分が立ち向かわなければならない現実を見なければいけない」と、母は考えたのです。

 授業は先生の唇さえ見ることができれば問題はありませんでした。でも、わざと私に背を向けて授業をする先生がいたり、同級生からいじめられたり……。それも学びだと理解していても、学びのプロセスにはつらいものがありました。それでも母は
「あなたが悪いんじゃない。相性が悪かっただけ」と言って、いつも励ましてくれました。

 大音量の音楽で“ビート”を感じながら、姉とクラブで踊るのが大好きでしたし、17歳から恋人もいましたし、障害のせいで何かをあきらめた経験はありません。

 そんなふうにやりたいことを実現させてきたので、「人工内耳手術」という選択肢について深く知ろうとせずにいました。

 ところが29歳の時、「アッシャー症候群」の宣告を受けたのです。アッシャー症候群は先天的な病気で、難聴と徐々に視力が失われていく、治療法が確立していない病気です。耳が聞こえない上に、「視力まで奪われる」という恐怖。視界はだんだんと狭まり、それまでのドライブ通勤をやめ、全盲になる日に備えて盲導犬を依頼しました。

 最初に来てくれた犬は天真爛漫でかわいい子でしたが、自分の行きたいところを優先してしまうクセが直らず、途中で交代。その次に出会ったのが「マッド」でした。マッドによって行動範囲が広がり、こんなにも世界は美しいんだということに気づきました。

 このままチャレンジせずに終わるより、人工内耳の手術を受けて、よりポジティブに生きてみようと思ったのです。そして、1年にわたる適応テストの後、39歳で手術に踏み切りました。

「これからスイッチを入れますけど、心の準備はいいですか?」

 手術を終え、初めて音を聞いた時は、この上ない幸せとともに全身が感電したかのようにビリビリし、こんな感覚は生まれて初めてでした。今まで補聴器で拾っていたかすかな音とはまったく違う! 今まで私を支えてくれた人たちの声が聞こえるのが、何よりうれしく思いました。

 その時の様子の動画を友人がユーチューブにアップしてくれました。すると翌日、私の家にテレビ局や新聞社の取材が来て、アッという間に私は話題の人になり、「聾盲者のメンター」として啓蒙活動に携わるようになりました。

 まだ聴力を得てから日が浅いので、情報過多で疲れる時もあります。キッチンの時計の音ですら、不安に感じる時もあります。ただ、今はやかんのお湯が沸騰しても音で分かるし、視界は狭いものの生活に支障がなくなったので、盲導犬はいったんお返しして自分ひとりで行動しています。今回、日本にも私ひとりでやって来たんですよ。

 障害をすべて解消することはできませんが、自立はできます。ただ、周りの人々の「無知」は障害を持つ人たちを時に“無意識に”傷つけてしまう。どういう障害があって、どんな苦労があるのか。どうサポートしたら障害者が自立できるのか。私の存在を通じて、そういったことも考えてもらえたらと思います。

(聞き手=岩渕景子)

▽ジョー・ミルン 1974年、イングランド生まれ。生後16カ月で全聾と診断され、29歳でアッシャー症候群と判明。2014年、39歳で人工内耳の手術を受け、生まれて初めて音が聞こえるようになった。現在は、聾盲者のメンターとして、啓蒙活動に励む。自伝「音に出会った日」(辰巳出版)を上梓。ツイッター@jomilne10