独白 愉快な“病人”たち

声優・真山亜子さんは32歳でベーチェット病・クローン病に

真山亜子さん
真山亜子さん(C)日刊ゲンダイ

 42歳で「オストメート」になりました。といっても、わかる人は少ないかもしれませんね。人工肛門や人工膀胱を付けている人をそう呼ぶのですが、私は大腸と小腸にストーマ(人工肛門)がついています。

 原因は、まぁ自分にもあって、飲むべき薬を勝手にやめて、食事にも気を使わずに過ごしていたことで炎症が重症化して、腸に穴が開いてしまったからです。

 私は32歳のときに「ベーチェット病」と「クローン病」に認定されました。どちらも自己免疫疾患の一種で、ベーチェット病は主に口などの皮膚粘膜に、クローン病は主に消化器官に炎症や潰瘍を起こす病気といわれています。厳密にはハッキリ分けられないことが多いようですが……。その治療のために飲んでいたステロイドを自己判断でやめてしまったんです。

 それまでも、いろいろな病気に見舞われてきました。初めは、16歳のころに右臀部にできた「デルモイド」という良性腫瘍です。それも最初は腫瘍だとわからず、4年放置の末、20歳のときに手術で赤ちゃんの頭ぐらいの大きさの腫瘍を取り、右足を引きずるようになりました。

 そして27歳のとき、貧乏な劇団員生活で無理がたたったのか、突然、足首が赤く腫れて熱が出たんです。近所の皮膚科で「安静に」と言われたにもかかわらず、むちゃをしていたら、腫れた部分が破れて崩れました。病名は「壊死性筋膜炎」です。両足首の皮膚を取って、お尻の皮膚を移植しました。2カ月も入院した揚げ句、術後しばらくは足が象のように太くなり、結果的にそれが芝居から声優に転身するきっかけになりました。

 ベーチェット病やクローン病の名前が出てくるのもこのあたりからです。声優の仕事が徐々に軌道に乗り始めたころ、微熱や皮膚のぶつぶつが現れたり、目の充血がひどくなったりし始めたんです。お世話になった皮膚科では、ツベルクリンの針反応(針を刺したところが膿む)でベーチェット病と診断されました。

 その後、外科や膠原病内科も受診して、下血症状などもあったので消化器内科を受診したところクローン病が浮上。結局、どちらかには決められないまま、ステロイドの投薬が始まりました。

 ちょうど声優のオーディションに受かり始めたところだったので、「仕事をしながら治療したい」と希望しました。ステロイドの副作用である多幸感と食欲増進、その一方で、うつと不眠と下痢という波を繰り返しながら、限界がくるとステロイドの点滴をしてもらうような日々でした。

 そんな中、なんと35歳で結婚したのですが、その半年後に大量下血で救急搬送されました。決まっていた声優の仕事を泣く泣く諦めて2カ月の入院でした。

 話はまだまだ続きます。嫌というほど悔しい思いをしたのに、退院して調子がよくなると勝手に治ったと思い、薬が切れても病院に行かなくなりました。

 するとある日、生ガキに大当たりして再び大量下血。またも入院することになりました。病院から足が遠のいて2年が経っていました。

 入院から1週間後、激しい腹痛があって腸に穴が開いていることが発覚し、手術することになりました。その時はストーマにはならなかったのですが、その日の深夜になって足先がしびれてきたことをドクターに訴えていたら、手もしびれだし、後頭部までしびれてきた……と思ったら、もうろれつが回らなくなって、再び緊急手術。1日に2回、全身麻酔の手術をしたわけです。

 後から夫に聞いた話では、医師から「もしかしたら助けられないかもしれない」と言われたそうです。この2度目の手術で大腸を20センチ、小腸を1メートル切って、それぞれにストーマができました。

 つらかったのは、それからです。ストーマはお腹に開けた穴。そこから排泄物が自分の意思とは関係なく出てくるので、パウチ(袋)を貼り、中身がたまってきたらトイレに流します。パウチは皮膚にぴったり貼っているのですが、どうかするとにおいが漏れたり、外れたりするんです。泣きたくなるような失敗もたくさんありました。

 でも、多くのオストメートがそうであるように、角度を変えてみれば、手のかかる赤ん坊のような存在といえます。今はそう思って仲良く付き合っています。

 私は、病気になったことで、もう一度人生を生きさせてもらっていると感じています。そう、今の「真山亜子」は改名した名前です。文字通り、生まれ変わったつもりなのです(笑い)。

▽まやま・あこ 1958年、岐阜県生まれ。小劇団の女優として活動していたが、28歳から声優へ転身。アニメ「ちびまる子ちゃん」の杉山さとし役、「忍たま乱太郎」の乱太郎の母役、映画「ワンピース」のココロ役など出演多数。語りの集団「譚倶楽部」での人情江戸語りや、オストメートの講演活動も積極的に行っている。