独白 愉快な“病人”たち

女優・高樹澪さん 「片側顔面けいれん」からの回復を語る

高樹澪さん
高樹澪さん(C)日刊ゲンダイ

 35~36歳のころでした。汗が止まらなくなったり、視力が落ちたりといったことが立て続けに起こり、顔の右半分がけいれんを起こしたんです。

 最初は肉体疲労による緊張なのかと思い、目を冷やす、リラックスするなどの方法を試してみたんですが、全くダメ。体は疲れているのに、顔はずっとピクピクして眠れず、右側に横向きに寝るとベッドが揺れて感じるほどでした。いつしか、チャームポイントだったえくぼも、右頬から消えてしまいました。

 当時は女優として中堅どころの年齢でしたが、昔と変わらず全力で突っ走っていました。会社で例えたら、管理職なのにいまだに現場に出ているような状態だったのかもしれません。東洋系の治療を中心にあちこち行っても全然良くならず、ハリで有名な先生のところで「(施術したのに)何で治らないの!」と、さじを投げられたこともありました。

 顔のけいれんに気付かれたくない一心で、撮影中は顔が動かないように目を見開いて、かなり怖い顔をしていましたね。

 口元も右半分がマヒしたような状態で、咀嚼がうまくできない。そのため、人との食事は避け、人の集まるところでは後ろの方へ行くようになり、常に「バレてはいけない」と、見た目も心も武装していました。

 何をやっても一向に回復せず、「全力で仕事に向かえない自分に居場所はない。ここにいないほうがいい」と、ますます自分を追い込み、44歳で一時女優を休業することにしました。

 休業中に一般企業に勤めたことが転機になりました。同僚の女性が「それ、脳神経外科で手術できるわよ。ウチの親戚の男の子も頭に大きな腫瘍があったけど、有名な先生に頭を開いて腫瘍を取ってもらったら治ったわよ! それにね、頭蓋骨は痛点がないから痛くないんですって」と教えてくれたのです。「痛い」「死ぬ」といった手術のイメージも根本的に間違っていたことに気付かせてくれました。

■10年近く悩んだのに、あっけなく

 その方に紹介していただいて、立川病院(当時)の清水克悦先生の診察を受けると、原因は、脳幹にある顔面をつかさどる神経と動脈が癒着していて、血のドクンドクンという流れが神経に当たり、けいれんを起こしていたことだとわかりました。そこで問題の神経と血管を剥離させ、間に緩衝材となる髄膜を入れる手術を受けることになったのです。

 清水先生の「(頭蓋骨を)開けたら意外に簡単だよ」という言葉と、瞳の奥の説得力に手術を決意しました。発症から10年近く経っているし、年齢的にも早い方がいいとのことで、2週間後に行われることになりました。

 手術自体は5時間ほどでしたが、周りを10人以上の医師たちが取り囲んで手術を進めていたので、“講義”を除くと数時間だったんだと思います。

 10年近く悩んだのに、あっけなかったですね。問題のけいれんは術後すぐに消えました。1時間後には普通に歩いてトイレに行けるし、右えくぼも戻りました。

 手術は父の“心のトゲ”も消してくれました。「顔面けいれんが起きたのは、子供の頃、しつけで頭を叩いたのが原因なんじゃないか」と心配していたんです。父も不器用で、厳しくしつけたんですよね。私の完全回復を見て、後悔の念も消えたそうです。

 人によっては、けいれんがあっても気にしないで生活する人もいるし、人形師の辻村寿三郎先生のように3年くらいで治ってしまう人もいて、人それぞれです。でも、私には外科手術がベストだったんだと思います。

 手術によって無理なことも一瞬で変わることを知ったおかげで楽観的になれるようになり、周囲に変に気負うこともなくなりました。今は不可能なものほど挑戦したくなるくらい、毎日が楽しくてたまらないんです。

▽たかき・みお 1959年、福岡県生まれ。銀行OLを経て、映画デビュー。レコード「ダンスはうまく踊れない」、ドラマ「スチュワーデス物語」、映画「卍/ベルリン・アフェア」(イタリア・ドイツ合作)などに出演。片側顔面けいれんのため03年から09年まで芸能活動を一時休止。8月2日に主演作「誘惑は嵐の夜に」のDVDがハピネットから発売。