Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【大橋巨泉さんのケース】がん治療と緩和ケアのバランス

大橋巨泉さん
大橋巨泉さん(C)日刊ゲンダイ

 気になった人もいるでしょう。急性呼吸不全で亡くなった大橋巨泉さん(享年82)のことです。ご主人の死を悼み、妻の寿々子さん(68)はコメントを発表。その中で、「最後の在宅介護の痛み止めの誤投与がなければと許せない気持ちでいっぱいです」と悔しさをにじませていたのです。

 奥さんのコメントや大橋さんが生前執筆していた週刊現代のコラムなどによると、「痛み止めの誤投与」とは、モルヒネ系の鎮痛剤のオプソやMSコンチンの過剰投与だったと推察されます。奥さんは、その悪影響で夫の死期が早まったというのでしょう。

 今回のテーマはまさにそこ、モルヒネに代表される医療用麻薬です。4度のがんを経験した大橋さんは今年4月、がん研究センター中央病院を退院して在宅介護に。自宅を訪ねてきた医師に痛みを聞かれて、「背中が痛い」と回答すると、すぐモルヒネ系の鎮痛剤が大量に届いたそうです。

 がんで亡くなる人は、8割が激痛に苦しむとされます。痛みは末期だけでなく初期からあり、そういう痛みを取り除くために使うのが、医療用麻薬です。“麻薬”というと怖いイメージがありますが、適切に使う限りよからぬことはありません。

 ある30代の女性は乳がんで脳などへの転移もあり、完治は見込めない状態でした。抗がん剤のメリット・デメリット、期待される余生の長さなどの説明を受け、治療は脳転移への放射線にとどめて抗がん剤を使わないことを選択。痛みを医療用麻薬で抑えて海外旅行や大好きなワインを楽しみながら最期を迎えました。女性が思い描いた通りの死だったと思われ、今でもすてきな最期だったと思い出します。

 ところが、日本の医療用麻薬の使用量は20分の1と少なく、痛みに苦しんでいる人が多いのが現状です。

 そんな流れで、がんの痛みや精神的苦痛を取り除く緩和ケアという概念が生まれました。緩和ケアはがんと診断されたときから必要に応じて受けた方がベターで、受けない方より充実した余生を送れることが分かっています。

■不十分な医療体制

 では、なぜ大橋さんのようなことが起こったのか。断定はできませんが、恐らく過剰投与があったと思われます。

 緩和ケアを行う医師の認識はバラつきがあり、その医療体制としては不十分と言わざるを得ない現実があるのです。過剰投与の一方、過少投与もあり、大学病院ですら、がんの激痛に苦しみながら人生の幕引きを迎えるケースが少なくありません。がん対策基本法の立法趣旨のひとつに緩和ケアの普及があるのは、現実は緩和ケアが不十分であることを暗に示しています。

 がんの治療と緩和ケアは決して対立するものではありません。がんと診断されたときから亡くなるまで、病状や進行などによって、それぞれのバランスが大切なのです。その点に着目すると、がんの名医の条件は、がんの治療と緩和ケアのバランスを取れること。そんな医師が、患者さんにとっての名医なのです。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。