異色の医師

ボート競技は歯科大入学後 1964年東京五輪の代表に

黒﨑紀正さんは現在73歳
黒﨑紀正さんは現在73歳(C)日刊ゲンダイ
黒﨑紀正さん(東京医科歯科大学名誉教授)

 リオ五輪も終わり、いよいよ4年後は東京五輪を迎える。56年ぶりの自国開催になるが、歯科医師の黒﨑さん(73)は、前回の東京五輪でボート競技の日本代表選手として出場した経験をもつ。種目は、前後2人の選手でオールをこぐ「かじなしペア」。当時、東京医科歯科大学の4年生だった。

「歯学部に進学したのは、うちが祖父の代から歯科医院(栃木県宇都宮市)をやっていたからです。でも、高校時代まで運動経験はなく、ボートという競技自体も知りませんでした。ボート部に入ったのは大学入学時に勧誘されたからです。私は身長181センチ、体重80キロ、当時としては大柄だったから目をつけられたのだと思います」

 大学にボート部ができて4年目。東北大OBのコーチを招き、熱血指導のもと好成績を目指していたタイミングだった。

 直近のローマ五輪への出場こそかなわなかった。先輩から「4年後の東京五輪を目指さないか。なせば成る」の言葉に心を動かされたという。

 前回の東京五輪のレースが行われたのは、いつも練習場としてきた戸田ボートコース(埼玉県)だった。天候にも恵まれ、晴天、無風の絶好のコンディション。しかし、世界の壁はとてつもなく厚かった。結果は5艇による予選で敗退、4艇による敗者復活戦も最下位となる。

「当時は海外遠征もなく、外国クルーがどれくらいのピッチでこぐのかなど、ほとんど情報もない状況でした。まさにぶっつけ本番。対戦してみたらスタート直後から徐々に引き離され、まったく歯が立ちませんでした。でも、実力は出し切れたので、悔しさよりも、すがすがしい充実感が思い出として残っています」

■チームワークは組織を動かす要

 競技は五輪までで引退したが、五輪出場の経験が患者への歯科診療に直接、役立ったかどうかは考えてみたこともない。

 しかし、ボート部時代はほとんど戸田の合宿所で、仲間たちと共同生活をしていた。その経験は、母校で教授や付属病院長を歴任し、組織を切り盛りする上で大いに役立った。

「ボートはクルーはもちろん、合宿しているすべての仲間の呼吸が合わないとまっすぐ前に速く進みません。そのチームワークの重要性は、大学病院という組織でも相通じるものがあると思っています」

 大学を定年退職後は、娘夫婦が後を継いでいる実家の歯科医院を手伝う生活を送っている。歯のケアには気をつけていて、毎日、丹念なブラッシングを心がけている。その結果、欠損している歯は2本だけだ。最近の歯科治療は、歯を失うとすぐインプラントを勧める風潮があるが、黒﨑さんはこうアドバイスをする。

「インプラントをするかどうかは、十分に説明してもらって納得したうえで決めることが大切です。インプラントを入れても、手入れが悪いと周囲の骨が減って、ダメになってしまいます。そうなると入れ歯にしようとしてもなかなか難しくなってしまいます。最初から入れ歯にしておいた方がいい場合もあるのです。何年か先のことも考えて、治療法を提示してくれる相性の合った“かかりつけ歯科医”を見つけるべきでしょう。もちろん高齢になっても自分で歯の掃除ができないような人はインプラントを入れても意味がありません」

▽くろさき・のりまさ 1967年東京医科歯科大学歯学部卒業、71年同大大学院歯科保存学修了。88年同大学歯学部付属病院・総合診断部教授。病院長、中央社会保険医療協議会委員などを歴任し、08年3月定年退職。