前回の東京五輪のレースが行われたのは、いつも練習場としてきた戸田ボートコース(埼玉県)だった。天候にも恵まれ、晴天、無風の絶好のコンディション。しかし、世界の壁はとてつもなく厚かった。結果は5艇による予選で敗退、4艇による敗者復活戦も最下位となる。
「当時は海外遠征もなく、外国クルーがどれくらいのピッチでこぐのかなど、ほとんど情報もない状況でした。まさにぶっつけ本番。対戦してみたらスタート直後から徐々に引き離され、まったく歯が立ちませんでした。でも、実力は出し切れたので、悔しさよりも、すがすがしい充実感が思い出として残っています」
■チームワークは組織を動かす要
競技は五輪までで引退したが、五輪出場の経験が患者への歯科診療に直接、役立ったかどうかは考えてみたこともない。
しかし、ボート部時代はほとんど戸田の合宿所で、仲間たちと共同生活をしていた。その経験は、母校で教授や付属病院長を歴任し、組織を切り盛りする上で大いに役立った。
異色の医師