異色の医師

ボート競技は歯科大入学後 1964年東京五輪の代表に

黒﨑紀正さんは現在73歳(C)日刊ゲンダイ

 前回の東京五輪のレースが行われたのは、いつも練習場としてきた戸田ボートコース(埼玉県)だった。天候にも恵まれ、晴天、無風の絶好のコンディション。しかし、世界の壁はとてつもなく厚かった。結果は5艇による予選で敗退、4艇による敗者復活戦も最下位となる。

「当時は海外遠征もなく、外国クルーがどれくらいのピッチでこぐのかなど、ほとんど情報もない状況でした。まさにぶっつけ本番。対戦してみたらスタート直後から徐々に引き離され、まったく歯が立ちませんでした。でも、実力は出し切れたので、悔しさよりも、すがすがしい充実感が思い出として残っています」

■チームワークは組織を動かす要

 競技は五輪までで引退したが、五輪出場の経験が患者への歯科診療に直接、役立ったかどうかは考えてみたこともない。

 しかし、ボート部時代はほとんど戸田の合宿所で、仲間たちと共同生活をしていた。その経験は、母校で教授や付属病院長を歴任し、組織を切り盛りする上で大いに役立った。

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