独白 愉快な“病人”たち

医師・僧侶の田中雅博さんは娘が強制した検査ですい臓発覚

田中雅博さん
田中雅博さん(C)日刊ゲンダイ

 2年前、すい臓がんがわかったときはステージⅣb。生存率の中央値によると、余命は半年~1年ぐらいでした。

 自覚症状はまったくありませんでした。

「たまには検査をしなさいよ」と娘に言われ、半ば強制的に院内で超音波検査を受け、すい臓に腫瘍が見つかったのです。

 糖尿病の傾向はありましたから、すい臓がんになりやすい因子を持ち合わせていました。

 実家の寺を継ぎ、境内に有床診療所を創設し、僧侶と医師を兼務してきました。しかし、自分の健診は血液検査など基本的なものだけでした。入院患者さんがいるので、休みはあってないようなもの。それは医師であるウチの妻も娘も同じです。がんセンターのような大病院でも、夜勤明けの後、そのまま通常勤務は当然。医師は忙殺されているのです。

 がんは、すい頭部とリンパ節だけで肝臓に転移が見られないので、切除手術をし、その後、再発予防の抗がん剤治療をしました。しかし半年後、肝臓に転移が見つかり、がんを小さくする抗がん剤に替えると一時的には小さくなった。ところが、半年後にその2番目の抗がん剤も効かなくなり、さらに強い3番目の抗がん剤に替えましたが、それも4カ月で再燃。現段階では、日本で承認されている薬には私の病状を抑えるものはありません。

 未承認の抗がん剤に、ヤクルトが開発した「リポソーム化イリノテカン」という、がんにだけリーチして、ほかを傷つけにくい薬があります。欧米ではすでに広く使われていますが、日本では使えません。

 日本は新薬の承認が遅れる傾向にあります。これには日本の医療費の安さからくる人手不足と、医師の過重労働のせいで治験が進まないという問題が背景にあります。

 同規模の病院で、日本はアメリカの10分の1の職員数です。そのため、日本は新薬の治験までなかなか手が回らない。日本生まれの新薬が、欧米では一般的に使われているのに、日本では使えない。医師として、がん患者として、今の日本の医療に歯がゆさを感じざるを得ません。

 3番目の抗がん剤は、吐き気、だるさのほか、発汗、下痢、しびれ感もひどかった。思っていた通りの副作用とはいえ、耐えがたいものでした。

■その時が来るまで「いのちのケア」を伝えていきたい

 とはいえ、「ステージⅣbで2年経っている」私が今も講演に行けるのは、抗がん剤のおかげです。

 よく、がんになると民間療法に頼る方がいますが、倫理審査も論文審査も受けていないから「民間」なのであり、それに頼るのは危険です。

 がんは私にとって「機」でもあります。がんになったおかげで、この2年で4冊の本を出版し、ずっと提唱してきた「いのちのケア」を行う専門家の必要性について耳を傾けてもらえるようになりました。死に直面している人の“言葉”を「臨床宗教師」という専門家が傾聴することで、患者本人が人生の物語を完成し、価値を見いだす。その専門家養成講座の創設にも関わり、形になりつつあります。

 抗がん剤の副作用で足先のしびれと感覚の麻痺がありますが、今日も栃木の益子から宇都宮まで自分でクルマを1時間運転し、新幹線を乗り継ぎ、東京で講演と取材の予定です。

 帰りがけに大好きなラーメンでも食べて帰ろうと思います。

 いつ歩けなくなる、食べられなくなるとも限らない状況なので、1カ月先の予定はお約束していません。そのうち、黄だんが出て判断ができなくなるか、痛みが出るかして、終焉に向かうと思います。痛みが出たら、自分で、この薬を使ってほしいとか、麻酔科医の妻に頼むかもしれませんね。

 その時が来るまで、少しでも多く、「いのちのケア」について伝えていきたいと思います。

▽たなか・まさひろ 1946年、栃木県生まれ。国立がんセンター内分泌治療研究室長・内科医兼務を経て、83年、実家の西明寺住職に。90年に境内に普門院診療所を創設し、内科医・僧侶として患者と向き合う。近著に「軽やかに余命を生きる」(KADOKAWA)。田中氏が顧問を務める日本臨床宗教師会「東北大学実践宗教学寄附講座」では寄付を募っている。寄付金は税金控除。(問)東北大学大学院文学研究科([電話]022・795・3831)。