天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

ベトナムではかつての日本で見られた疾患が多い

順天堂大学の天野篤教授
順天堂大学の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 前回、8月中旬に2泊3日のスケジュールでベトナムを訪問し、現地の病院や医療体制を視察してきたお話をしました。

 その際、現在のベトナムは、社会基盤も医療環境も30~40年前の日本を見ているかのような印象を受けました。

 心臓手術は、冠動脈バイパス手術や弁置換術など一通りのことが行われていますが、やはりレベルはまだ低いと言わざるをえません。手術のスピードをできるだけ速めたり、処理をしっかり丁寧に行ったり、できるだけ長持ちするように工夫するなど、手術の「質」を高めて患者さんのQOLを高めようといった発想は二の次で、「とにかく手術して、その場の命が助かればいい」という考え方が主流です。

 これは、かつての日本も同じでした。これでは、どうしても手術後に再びトラブルを起こすケースが多くなります。そのため、要人や富裕層は外国で手術を受けたがっているのが現状なのです。

 また、庶民に多い病気の種類も、かつての日本と似ています。公衆衛生がまだ不十分なことで、子供の心臓疾患や、リウマチ性の心臓弁膜症が多いのです。これは、日本でいえば昭和40~50年ごろに多かった病気です。

 リウマチ性の心臓弁膜症は、いわゆる「関節リウマチ」とはまったく関係ありません。溶血性連鎖球菌への感染によって起こる「リウマチ熱」の炎症が心臓の弁膜まで及び、数年から数十年かけて弁が炎症による急激な劣化や硬くなって機能しなくなる硬化を来し、狭窄や閉鎖不全を起こす病気です。血液の循環がうまくいかなくなり、動悸や息切れなどの症状が表れます。放置しておくと、心臓の負担が増えて心不全を起こしたり、突然死の原因になることもあります。

 現在の日本では、学校検診の充実や抗生物質の進歩によって、ほとんど見られなくなりました。若いころの溶血性連鎖球菌感染に対し、早い段階から抗生物質による介入が行われ、感染症がかなりコントロールできるようになっています。感染症による炎症が、心臓の弁まで進まなくなったのです。

 激減したリウマチ性の心臓弁膜症に取って代わり、近年の日本に増えているのが、生活習慣病が原因の心臓弁膜症です。食生活の欧米化や高齢化が進んだことにより、高血圧や高血糖、動脈硬化を抱える人が多くなり、弁が石灰化したり硬化するケースが増えています。これは、昔の日本ではあまり見られなかった病気です。

 ベトナムでも、富裕層は高齢化や生活習慣病による動脈硬化が原因になる弁膜症や虚血性心疾患が多く見られます。庶民に比べて衛生面や食生活が良い富裕層は長生きする人が増え、その結果、庶民とは違った形の心臓疾患も増えているというわけです。薬の種類も少なく、病院の設備も遅れているため、高度な医療が受けられない庶民は、そうした心臓疾患が悪化する前に亡くなってしまっているケースも少なくないでしょう。

 つまり、経済発展を遂げて裕福になった今の日本で社会全体に広がってきた高齢化や生活習慣病が原因の心臓疾患が、ベトナムではまだ一部にとどまっているということになります。将来的にベトナムが経済発展して、社会全体の生活環境が向上して高齢化が進めば、日本と同じような道をたどるかもしれません。

 ベトナムの政府関係者は、自国の医療水準を向上させ、国内だけで最新の医療を受けられて、そのまま完結できるような環境整備を望んでいます。今回の視察では、かつての日本で経験してきた医療が、ベトナムではいまもそのまま大いに役に立つことがわかりました。これまでも日本の医療関係者はさまざまな援助を行ってきましたが、私も含め、協力できることはまだまだたくさんあると考えています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。