医師語る 「こんな病気で死にたい」

理想は自然死 飲まず、食わず、悔いず 眠るように

石飛幸三さん
石飛幸三さん(C)日刊ゲンダイ
石飛幸三さん(特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医)

「苦しみたくないから最期は“ピンピンコロリ”がいい」――。こう言う人がいます。

 寝たきりで家族に迷惑をかけたくない、という気持ちからでしょうが、私は賛成できません。

「ピンピンコロリ」は突然死です。大切な人に別れの言葉を残さず、心の準備をさせないまま去っていくのは無責任です。残された妻や子供が父親の遺体にしがみつき、泣き叫ぶ姿を幾度となく見てきた私には、とても身勝手に感じます。

 ならば、がんはどうでしょう?

「死ぬのはがんに限る」と言う医師もいます。がんはおおよその余命が予測できます。「死ぬまでにやっておきたいことに費やす時間が持てる」という意味では、悪くはありません。しかし、転移する恐怖やがんの痛みを考えると、全面的に賛成はできません。

 駆け出しの医師だった頃、苦しみながら亡くなった胃がんの患者さんを見ました。そのため、がんで死ぬのはどうかと思います。

 私が言いたいのは、「自然にまかせたら人は穏やかに死ねる」ということ。逆に言えば、下手な延命は苦しみを招きます。そのことを皆さんに知っておいてもらいたいのです。

 例えば、胃瘻です。病院は口から食べ物を取れなくなると、胃瘻や中心静脈栄養法などで、機械的に無理やり栄養や水分を補給しようとします。しかし、「年寄りは食べたり、飲んだりしないから死ぬ」のではなく、「体が吸収できないから食べない、飲まない」のです。余分な水や栄養の補給は苦しみにしかなりません。

 そもそも、寝たきりの人にどのくらいの栄養分が必要か、明確な科学的なデータなどないのです。

 胃瘻を作る理由として「誤嚥性肺炎を起こさないため」と言う人がいます。しかし、これは間違いです。胃に直接に栄養を入れる胃瘻でも、消化し切れない栄養が食道を逆行し、誤嚥性肺炎を起こします。

 自然死の遺体は白く細身で美しい。一方、病院で延命の末に亡くなった遺体は両腕に点滴針の黒ずみが残り、体全体が白くぶよぶよしています。私には、見た目の差は苦しみの差としか思えません。

 では、自然死はどのようなプロセスをたどるのでしょう? 人は年を取り体が衰えてくると「移動」「排泄」「摂食」の能力が落ちていきます。

 いまわの際が近づいてくると、心臓の働きが弱まり、血圧が60以下に下がります。心臓から遠い順に血液が届かなくなり、手足が冷たくなり、肌の色が変わります。しかし、生きていくための最も原始的な脳幹の呼吸中枢は最後まで頑張ります。遂に麻痺して呼吸が乱れます。最期は下顎呼吸を行います。これは下顎がガクッと下がって普段とは違う筋肉を使った補助呼吸です。このときあえぐように見えるため、家族は「苦しいのではないか」と心配されますが、問題ありません。この時点では本人は苦しみを感じる状態ではないのです。

 そのまま息を引き取る人もいますが、突然「ハアーッ」と息を吐き出す動きを見せる方もいます。これは呼吸筋の最後の反射反応にすぎません。

 こうしたことは、親や近親者の死に立ち会っていれば分かることです。人の死を病院任せにして、学ばないから、「苦しそうだから、モルヒネを使ってください」といった発想になるのです。

 私は、いま勤めている特別養護老人ホームで200人以上をみとりましたが、モルヒネを使ったことはありません。皆、眠るようにして亡くなるので、使う必要がないからです。

 大切なのは本人が「十分生きた」「やり切った」と思える気持ちになることです。先に亡くなった家族や知人との死後の再会を考え、死を前向きに受け入れる準備も大切です。

 死を前にした患者が病院や医師に期待していいのは、「いつまで自由に動けて、自分の意思を伝えられるのはいつまでか」という見通しです。患者さんは、死を医師や病院に委ねることなく、残された人生の幕引きをどう使うか、自分で決めるべきです。

 私の知人の政治家は、がんで余命数カ月と知ると、子供にわが身を背負わせて、政敵の自宅を訪ね、「君とは立場の違いで大いにやりあったが、尊敬していた」と語り、遺恨を残さず、眠るように逝かれました。理想の死とはこういうことをいうのではないでしょうか。

▽いしとび・こうぞう 1935年、広島県生まれ。慶応義塾大学医学部卒業後、外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務した後、72年東京都済生会中央病院へ。93年同院副院長。05年から現職。診療の傍ら、講演会や執筆を通して老衰末期のみとりの在り方の啓発に尽力している。著書に「『平穏死』を受け入れるレッスン」(誠文堂新光社)、「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)などがある。