独白 愉快な“病人”たち

三笠優子さん マッサージ師に指摘され病院に駆け込んだ

歌手の三笠優子さん
歌手の三笠優子さん(C)日刊ゲンダイ
歌手67歳<髄膜炎・ステロイド副作用>

 60歳の時に髄膜炎で命を落としかけましてね。「助かるのは4分の1、助かっても後遺症で仕事に戻れないかも」と医師には言われましたが、5カ月でNHKの「歌謡コンサート」に復帰しました。

“もうないだろう”と思っていたら、64歳の6月、体がだるくてどうにもならず、ステージが待っているのに家を出るのを渋るほどひどかったんです。いざステージに立ったところで、「1分待って!」とお願いし、ステージを待たせるほど。最後の曲を歌い始めると、あごがガクッと外れて歌えなくなりました。ファンの方は私が歌詞を忘れたと思って歌詞カードを見せてくれたのですが、実はそうじゃなくて……。

 1回目のステージとCD即売会をこなし、楽屋でマッサージを受けると、「私の知り合いの心筋梗塞になった方の体を触った時に似ています。今日のうちに病院に行ったほうがいいですよ」と言われました。

■肝機能が基準値の70倍、原因はステロイド

 2回目のステージとCD即売会をこなし、夜間に自宅近くの大学病院に駆け込みました。血液検査をすると肝機能の数値を示すALTが、基準値30以下のところ、1743というとんでもない値で即入院。翌日になるとさらに上がり、2000を超えていました。

 原因は、喉の治療で点滴していたステロイドでした。2カ月前、15日間連続公演の10日すぎあたりから声が出なくなり、無理言って強いお薬を処方していただき、何とか仕事をこなしましてね。東京に戻り、喉の専門病院で「副作用があるから」と言われても、「とにかく何でもいいから声が出ないと困るんです!」とお願いして、連日点滴していたのです。

 やはり薬の効果はすごいもので、全く出なかった声がよみがえりました。以来、声が出ないのが心配で、マネジャーが毎日吸入してから現場に来いと言うものだから、先生に止められても2カ月間、仕事のある時は毎日点滴。

 その主成分、ステロイドが肝機能にダメージを与えていたんです。その時はステロイドが入っているとも、その副作用も知りませんでした。

 入院から1週間後、肝臓の一部を取って検査をする肝生検を受けた後、お腹に置かれた重しみたいなものを外すと、出血が始まって、看護師が慌てる中、私は昏睡状態に陥りました。

「今、大量に出血して、手術を行っていますが、もしかしたら今夜が峠になるかもしれません」とマネジャーの元に病院から連絡があったそうです。それから3日ぐらい昏睡状態が続いたでしょうか。大量に輸血し、何とか1カ月後には退院。とはいえ、歩くのもままならない状態で、まずはボイストレーニングに通いました。

 それから約1カ月後、無気力と倦怠感に襲われ、病院に行くと肝機能の問題ではなかった。ひょっとして……。昔経験した「うつ」に似ている。精神科に行くと、大量出血で生死の境をさまよったことによる体の恐怖で、「うつ」が再発したのです。意識はないのに、肉体が危機を感じ、脳に刻み込まれたようです。

 ところが、その件についての記録は大学病院のカルテにはないんです。ということは、病院側に後ろめたいものがあったのかもしれません。

 以来、精神科の薬が合わずに時間外に病院に行ったり、なかなか薬との共存は難しいですね。でもやっぱり一番の薬は、ステージとお客さまです。ステージに立つと元気になるし、愉快におしゃべりしていられます。こうして病気の話もオープンにしていると、「私もうつなのよ」なんて声を掛けてくださるのもうれしい。

 自分が杖を使ったおかげで、客席を見ると、椅子のワキに杖を置いている方がたくさんいることにも気づけるようになりました。そこまでしてお客さまが来てくださる幸せ、つくづく歌手でよかったと思います。

(聞き手・岩渕景子)

▽みかさ・ゆうこ 1949年、愛媛県生まれ。15歳から浪曲師の松平国十郎に師事。博多のクラブ歌手時代に自主制作した「洞海湾の竜」が話題となり77年にメジャーデビュー。79年にリリースした「夫婦舟」で日本レコード大賞・ロングセラー賞を受賞。今年7月に「おんなの真田丸」をリリース。