医師語る 「こんな病気で死にたい」

苦しまないという意味では致死性不整脈が“理想的”かも

江田 証さん(江田クリニック院長)

 医師といえど、やはり、なるべく痛みがなく苦しまずに死にたいというのがホンネです。自分自身のことだけを考えれば、「トルサデポアン」(心室頻脈)などの致死性の不整脈で亡くなるのが理想的な死に方といえるかもしれません。日常生活に支障を来すような自覚症状もなく、あるとき、突然発症して心拍数が乱れ、心臓が機能しなくなって脳への血流が途絶え、意識を失って亡くなります。

 最近は、がんで亡くなるのが一番いいという声も聞くようになりました。痛みを和らげる緩和ケアが進化したり、効果が高い抗がん剤の登場により、ある程度、自分で病状をコントロールできるようになってきたため、残される側の覚悟が定まる時間や、本人がやり残したことに取り組める時間的な余裕をつくることができるからです。

 しかし、がんは治療が長期にわたってしまったり、転移によって強烈な痛みに見舞われる可能性がどうしても残ります。苦しまずに亡くなるという“理想”からは、外れてしまうケースも考えられます。ただ、どんな病気で亡くなるにせよ、一番大切なのは「どう生きたか」だと思っています。最近は、長生きする人が勝者で、早死にする人は敗者――といった風潮が強くなっているように感じます。

 多くの人が漠然と「長生きしたい」と考えるようになってきている印象です。しかし、私は早死には決して負けではなく、「早死にを笑うな」という思いを強く持っています。

 たとえば、人生において自分がどうしてもやりたいことが仕事だという価値観を持っている人がいます。そういう人は一心不乱に働き、成功すればするほどプライベートな時間がなくなるという“落とし穴”があります。睡眠や食事といった生活のリズムも乱れて健康が犠牲になり、結果的に早死にしてしまうケースは少なくありません。

 そうした短命な人に対し、「身を削って働いて早死にするなんてバカなヤツだ」と笑う人は多いでしょう。しかし、自分の才能や可能性、価値観を追求し、やりたかったことを思い切りやれた人生だったともいえます。早死にだったとしても、その人の価値が下がるわけではなく、敗者でもありません。尊いひとりの人間の人生なのです。

 ご家族がある人の場合、早死にすると残された子供は苦労するかもしれません。しかし、子供は親の死を糧にしながら強く生きていくものです。

■“無駄”な延命治療は選択しない

 人口1300人足らずの無医村で生まれた私の父親と母親は、どちらも小学生時代に相次いで両親を失っています。つらい思いもしたと言いますが、息子である私を育てて医師にしてくれました。そんな両親のおかげで、私は自然と小学生時代から「自分を可愛がってくれた故郷の人たちを助けられるような医師になる」という覚悟を持ち続けることができました。

 そして、曽祖母が事あるごとに口にしていた「おまえは長男なんだから、必ずここへ戻ってきて、みんなを治してあげるんだよ」という言葉を守り、故郷でクリニックを開業することもできました。

 これまで、若くして亡くなった患者さんをたくさんみとっていますが、ほとんどの方は「残す子供が心配だ」と漏らします。そんなとき、私自身の経験をお話しすると安心してもらえるようです。

「どう生きたか」が大切だと考えると、延命治療についても思うところがあります。一般的に、切除不能なステージⅣのがん患者さんには、抗がん剤治療が行われます。仮に私がそうだった場合でも、まずは、近年続々と登場している副作用が少なく治療効果が高い抗がん剤による治療を行うでしょう。

 しかし、本を書いたり、音楽を鑑賞したり、自分の好きなことができないレベルの副作用が表れてQOLが保てない場合は、投薬の中止を希望します。また、抗がん剤の効果判定を確認して効果が見られない場合も、やはり中断を選択するでしょう。

 胃ろうや人工呼吸器などの延命治療についても同じ考えです。意識がなくなり、話せない、食べられなくなるなど、人間の尊厳が損なわれるような状態になってしまったら、“無駄”な延命治療はしないつもりです。

▽えだ・あかし 1971年、栃木県生まれ。自治医科大学で内科全科を研修後、自治医科大学消化器内科に入局。宇都宮社会保険病院内科医長などを経て、05年に江田クリニックを開業。ピロリ菌感染によって起こり、胃がんの発生に重要な「胃の腸化」にはCDX2遺伝子が重要な働きをしていることを世界で初めて米国消化器病学会で発表した。「医者が患者に教えない病気の真実」(幻冬舎)、「一流の男だけが持っている『強い胃腸』の作り方」(大和書房)など著書多数。