医師語る 「こんな病気で死にたい」

亡くなる時期がある程度予想できる「がん」で餓死が理想

石川隆俊さんは東京大学名誉教授
石川隆俊さんは東京大学名誉教授(提供写真)
石川隆俊さん(東京大学名誉教授・元東京大学医学部長)

「苦しまずに死にたい」というのなら、突然死につながる心臓や脳の病気がいいかもしれません。血管が詰まったり、破裂して、急に血流が途絶えて意識を失い、亡くなります。

 しかし、私は死ぬ前に妻や家族、ごく親しい友人に別れを告げたいと思っています。とくに一緒に子孫を残した妻には、「ありがとう」と言い残したいのです。その意味で、亡くなる時期がある程度予測できる「がん」は、私の理想かもしれません。

「がんは痛くて苦しい」と言う人がいます。しかし、長年、がんの研究に携わってきた私の考えはちょっと違います。

 大抵のがんは、長い時間をかけてゆっくり大きくなります。当初は痛みなど感じません。

 末期でも、一部を除いては一昔前のようにベッドで苦しみ、のたうち回るがん患者さんの姿を見ることはありません。自宅でも使用が許される貼り薬など、がんの痛みを抑える薬が開発されたからです。

 モルヒネよりも効き目の強い薬もありますし、骨に転移したがんの激しい痛みを、注射1本でコントロールする放射性医薬品、がんの痛みに関係する神経を、アルコールなどで遮断する神経ブロックなどが開発されています。

 大抵のがんは、末期でも意外に穏やかに過ごせます。そもそも、がん細胞は正常な細胞の栄養を横取りして増殖します。その結果、がん細胞にとりつかれると全身の栄養が低下して、最後は餓死のような状態で亡くなります。餓死はある意味“自然死”ですから、老衰のように苦しみは少ないのです。

 がん患者さんのなかには「若いころ、ムチャな生活をしていたからがんになった」「自分の生き方が悪かったから、その罰ではないか」などと、精神的に自分を責める方もおられるようです。しかし、これも誤解です。

 私は長年、環境中の化学物質が引き金となるがんの研究に取り組んできました。かつては、特殊な染料、あるいは洗剤のベンゼンに触れるなど、外的要因によるがん発症がありました。しかし、いまは、ほとんどありません。

 がんの多くは、細胞が分裂するときにできるDNAの傷の集積で発症します。

 がんは人間だけの特別な病気ではありません。犬や猫、ゾウや魚、ショウジョウバエなどほぼすべての動物が患います。

 ただし、発生率は生き物によって異なります。ヒトは70歳を過ぎてがんの発生率が高くなります。実際、病理医として多くの解剖にも携わってきましたが、どのような死因の方でも80代、90代の高齢者の遺体からは2~3種類のがんが見つかります。

常陸宮殿下の共同研究者としても有名
常陸宮殿下の共同研究者としても有名(提供写真)
■自宅でぬくもりを感じて逝きたい

  ネズミは寿命の3年くらいでがんの発生率が急激に高くなります。一方で、ゾウのように人間の100倍近く細胞数が多いにもかかわらず、がんを抑制する遺伝子の数が多いせいなのか、ほとんどがんにならない動物もいます。

 乱暴な言い方をすれば、がんは病気というより、「死に向かって老化を進めるための自爆装置なのではないか」と考えています。その意味で、がんになるということは神様がその人や動物に与えた命を全うしたということであり、細胞がダメになるまで生き抜いた証拠だと思うのです。

 生き物である以上、死ぬのは避けられません。そのふちに立たされるとさまざまな不安、恐怖、未練が襲ってくるでしょう。それを断ち切り、死を受け入れるためには準備が必要です。私は「自分史」を書きました。子供たちや孫たちに自分の生い立ちや考えを知ってもらうことが生への未練を捨て死を受け入れる一助となると考えたからです。

 私はある程度の治療を終え、死が迫ったら病院から自宅に戻るつもりです。人の五感のうち、聴覚だけは最後まで残ると言います。たとえ寝たきりで意識がないように見えても自宅の枕元で家族の営みを聞き、ときには妻に添い寝してもらいながら、ぬくもりの中で最後の時を迎えたいのです。

▽いしかわ・たかとし 1939年、東京都生まれ。東京大学医学部卒業後、がん研究所を経て89年東京大学医学部病理学教室教授。97年東京大学医学部長。化学発癌の実験病理学的研究に従事。常陸宮殿下の共同研究者として有名。