独白 愉快な“病人”たち

歌手・大江裕さん 「パニック障害」克服までを語る

大江裕さん
大江裕さん(C)日刊ゲンダイ

 中学生の頃から、自分で老人ホームにお願いして歌わせてもらう機会をつくり、週末の予定は歌でびっしり埋まっていました。それが18歳で憧れの北島三郎さんの事務所に入り、すぐデビューですから、毎日仕事がうれしくて。キャンペーンで全国を飛び回り、1日3回公演なんてザラ。公演のない日は事務所に行って、サイン色紙を2000枚書く。これほど楽しい仕事はないと思っていました。

 それが、デビューして約2年、僕のことを「のろま大将」と呼んでいただけるようになった21歳の時です。祖父の地元、鹿児島・肝付でのコンサートで舞台に立ち、前奏に背中を押されて「さぁ、行くぞ」と1曲目を歌おうとすると、ゆっくり天井が回り始めたんです。急に心臓がバクバクして息ができず、そのまま後ろにひっくり返りそうになり、救急車で搬送されました。

 過呼吸と異常な心拍数。救急車に乗るときにお客さんや祖父の同級生たちが励ましてくれて……。僕にとっては記念すべき凱旋公演、いつもなら僕が元気を与えるはずなのに、自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥りました。

 病院で検査をすると異常なし。そのまま会場に戻りましたが、夜の舞台に立てるかどうか……。すると「ユタカ~! 大丈夫か?」と事務所の先輩、北山たけしさんが駆けつけてくれました。近くでご自身の公演を終えたばかりなのに、急きょ代わってくれたのです。

 その日の晩、次の公演先の国分に泊まると、ホテルの15階の窓から下を見ても全然怖くない。そのくらい気持ちが不安定になっていました。

 以降、半年以上びっしり埋まっていた僕の予定は、事務所の先輩方が代わってくれ、事務所を卒業した松原のぶえさんまでもが「何言ってるの、ファミリーじゃない?」と、僕の穴を埋めるために奔走してくれました。今でも思い出すと自然に涙があふれますね。

■「来るなら来てみろ」

 病名はパニック障害でした。どこが悪いとも明確なものがないので言うに言えず、怠け者だと叩かれ、その時はなぜ生きているのか、自分の存在理由すらわからなくなっていました。

 ある日、事務所から電話があり、行くと北島(三郎)先生が待っていました。僕の頭をゆっくりなでながら、「俺は、裕の歌がもう一度聴きたい」と言ってくださって。申し訳なさと安堵感で、床にボロボロ涙を落としました。

 その後、先生の1カ月の地方公演に同行し、疲れたら先生の楽屋で休み、空き時間にピアノを弾いてボイストレーニングをしてくれました。

 公演最終日の3日前、今から言う詩をメモするように言われました。その時、「これがおまえの再出発の歌だ」とくださったのが「ふる里はいま…」という曲です。

 公演の打ち上げでその曲を初めて披露し、レコーディングの足掛かりをつかみ、“引きこもり”の長いトンネルから抜け出せました。何があっても先生が守ってくれるという安心感は何より大きいです。会社から紹介してもらった病院も相性が良かったようで、心配事が減りました。

 病気をしたおかげで今の自分があるように思えます。先生の下で勉強させていただき、またあの時のような予兆を感じても、「来るなら来てみろ」と思えるようになり、いつの間にか消えるようになりました。あの時の経験を胸に、より痛みのわかる人間になって歌を届けていきたいと思います。(聞き手・岩渕景子)

▽おおえ・ゆたか 1989年、大阪府生まれ。18歳の時「さんまのSUPERからくりTV」に出演し、演歌高校生として話題になり、09年に「のろま大将」でプロデビュー。26日に「御免なすって」(日本クラウン)をリリース。