Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

川島道行さんは闘病19年 脳腫瘍グレード2で5年生存率は7割

ユーチューブから
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 音楽ファンにとってはつらい報道でした。ロックユニット「BOOM BOOM SATELLITES」のボーカル・川島道行さんが19年の闘病生活の末、脳腫瘍で亡くなりました。47歳でした。今年6月に発売されたEP(シングル盤)は、重い麻痺の体を押してレコーディングを重ね、1年がかりで仕上げたそうです。脳腫瘍は、頭蓋骨に包まれた部分にできる腫瘍の総称。脳そのものの腫瘍と、脳を包む硬膜や血管、脳下垂体、脳神経など脳以外の腫瘍に分けられます。良性と悪性の比率は2対1。

 ほかの臓器なら、良性の場合、摘出せずに済むこともありますが、脳腫瘍は良性も悪性も脳を圧迫するため、手術で摘出するのが第一です。川島さんは1997年に初期の脳腫瘍が見つかり、12年12月に脳腫瘍を公表したときは、3度目の再発だったそうです。

 診断はCTやMRIなどの画像検査である程度できますが、摘出手術の前に組織の一部を採取してすぐ顕微鏡で観察。良性か悪性か調べてから、速やかに腫瘍摘出手術を行うのが一般的です。

 悪性度は4段階で、グレード2までは比較的進行が遅く、良性の範疇に入り、手術で全摘できれば治療は終了。グレード2は20~40代に多く、5年生存率は7割ほど。決して治療成績は悪くありません。

 川島さんは診断当初、28歳。再発に苦しめられながらも、公表までは治療がうまくいっていたのではないでしょうか。女優の須藤理彩さん(40)と結婚したのは06年で、その後、2人の子宝に恵まれています。家族の支えも大きかったのでしょう。それまでは作品をコンスタントにリリース。ライブ活動も頻繁に行っていました。

 とても前向きに生活されていた様子がうかがえますが、公表翌年1月のアルバム発売後は、今年のEPまでライブ盤とアルバム1枚のみ。公表の前くらいから、病魔が進行したのでしょうか。

 悪性脳腫瘍の3分の1程度を占めるグリオーマというタイプは、正常組織に染み込むように広がるため、正常組織との境界が分かりにくい。さらに、近くに重要な神経や血管があったりすることもあって、手術で十分に取り切れないケースが多く、術後に放射線や抗がん剤を追加するのが普通です。川島さんも、悪性グリオーマだった可能性があります。

 昨年5度目の再発を受け、9月に活動休止を発表。麻痺などの症状が重く、今年1月から自宅療養したとされます。

 脳腫瘍は、それに伴って頭蓋内の圧が高まるため頭痛や吐き気、嘔吐といった中心的な症状が発現。たとえば頭痛は慢性的で、少しずつ悪化するのが特徴です。もうひとつは、圧迫を受ける脳の機能の低下。麻痺が重かったことから、運動をつかさどる部分が影響を受けていたとみられます。

 言語機能をつかさどる部分だと、言葉が出にくかったり、単語を間違えたり。視力に関する部分なら目のかすみや視野の狭窄などで、精神活動に関する部位では抑うつや意欲の低下なども見られます。症状が増えながら病状が進行するので、患者さんはつらい。それでもギリギリまで音楽人を貫いたのはすごい。

 英音楽誌には「ケミカル・ブラザーズ、プロディジー以来の衝撃」と絶賛され、故ヒース・レジャーが米アカデミー助演男優賞に輝く「ダークナイト」に楽曲を提供。海外でも高く評価されていただけに残念です。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。