独白 愉快な“病人”たち

即死レベルから11年 小西博之さんががんを受け入れるまで

手術の痕を見せる小西博之さん
手術の痕を見せる小西博之さん(C)日刊ゲンダイ
俳優57歳<腎臓がん>

 今の僕があるのは欽ちゃん(萩本欽一氏)のおかげです。かつて、欽ちゃんから教わった「人生の幸と不幸は50対50」という言葉がすべてだと思っています。生きていれば半分は悪いことが起こる。でもそれを受け入れて、とことん落ち込めばいい。ダメなときはしょうがない、笑っとけってね(笑い)。

 人生は波のようなものだから、ググッと深いところへ持っていかれることもあるけれど、必ずまた上がることができる。ダメな間は、体を楽にして波に身を任せていればいい。ただ、「上がったら何をしようか」と考えておくことが大事なんだと教わったのです。正直、当時20代の僕はあまりピンときていませんでした。でも、病気をして“ああ、こういうことだったのか”と納得しました。

 12年前、腎臓がんで死にかけました。大げさではなく、進行度合いを表す「ステージ」なんてものは通り越して、医師には「即死レベルです」と言われました。左の腎臓にできたがんが20センチにまで肥大し、腎臓に圧された脾臓もパンパンに膨れていて、いつ破裂してもおかしくないという状態でした。それが2005年1月のことです。

 2月に入院し、手術を受けるまで毎日号泣しました。「死にたくない!」と風呂場で1時間、毎日です。ときにはソファをひっくり返し、そこらじゅうのものを引き裂き、台所のお皿も割って暴れました。ひとり暮らしなので遠慮なしにね。でもまぁ、やったことがある人はわかると思いますが、後片付けが大変なんですよ(笑い)。

 そうやって落ち込むだけ落ち込むと、ビールが少しおいしく感じたり、寝つきが良くなったりするんです。欽ちゃんの言っていたことが身に染みました。

 腎臓がんは5~6センチにもなると転移の可能性が高く、切っても再発率は高い。そんななかで僕のは縦20センチ、横13センチという巨大さで、医師から「日本で5本の指に入る大きさ」と言われました。リンパ節も腫れていたので転移が予想され、後から聞いた話では、両親やスタッフは医師から「手術は成功してもあと3カ月くらい。心の準備をしておいてください」と言われたそうです。

■がんとは戦わない

 手術はその道では大変有名な名医にしていただきました。とても大掛かりで、傷口は肋骨の辺りから背中にかけて大きなV字を描いています。肉を切って肋骨をギューッと持ち上げて取り出そうとしたそうですが、それだけでは取り出せず、結局、肋骨を2本切りました。名医ですらそうしないと取り出せない状態だったんです。麻酔が切れてからの痛みは言葉にできません。

 でも、僕は「がんに勝とう」なんてこれっぽっちも思っていませんでした。他人はよく「がんと闘う」と言いますが、その言葉は嫌いです。これは高校時代の野球部の監督の言葉なんですけど、「勝ちたいと思うな。勝った後、帰ってきてみんなで大喜びしている姿を想像しろ」とよく言われました。目標は楽しいことにした方がいい。だから、病気をした僕は目標を「『徹子の部屋』に出ること」にしたんです(笑い)。

 元気になって「徹子の部屋」に出演して、徹子さんに傷口を見せながら「でも、全然大丈夫」と、お話しする……という夢を描きました。どんな話をしてどこで笑いを取るか……そんなことまで想像しました。

 退院は術後9日目でした。スピード退院ですよね。そして、その5カ月後には本当に「徹子の部屋」に出させていただき、思い通りになりました。

 あれから11年が経ちますが、僕はまだ元気です。「奇跡だ」と医師からは言われていて、「腎臓がん研究会」に呼ばれたりもします。これも後から聞いた話ですけど、5年生存率はほぼ無いに等しい状態だったそうです。

 今は、そんな唯一無二の“ネタ”を与えられたことに感謝しています。僕のこの体験が、今、がんで悩み苦しんでいる人の役に立てばと思って、病院や学校、お寺さんでも講演しています。

 病気になると「泣いている場合じゃない。頑張らなきゃ」と思ってしまいますよね。でも、病気を受け入れるってそういうことじゃないと思うんです。男だって泣いていいし、それは全然恥ずかしいことではないし、どれだけ泣き言をならべたっていい。病気になったありのままの自分になることが、本当の意味で病気を受け入れることだと思います。そして、決して闘わないこと。“闘う”なんてストレスになることを目標にしたらあきまへん。

 苦しかったら泣きましょ。僕は本当に涙もろくなりました(笑い)。

▽こにし・ひろゆき 1959年、和歌山県生まれ。1982年から3年続いたバラエティー番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS系)で人気になり、以後、バラエティーやドラマで活躍。結婚、離婚の後、末期がんを克服して復帰した。その後、NHK大河ドラマ「龍馬伝」や「軍師官兵衛」に出演。俳優業の一方で、がんの体験を笑いと共に語る講演活動を年間100本以上行っている。