ドキュメント「国民病」

【変形性膝関節症】女子高時代のバスケットボールが遠因

 60歳にして杖なしで外出できなくなった専業主婦の高橋咲子さん(仮名、65歳)に、さらにショッキングなことが起こる。

 今年の「母の日」に、大型梱包の宅配便がいきなり届いた。送り主は娘で、品名は「車いす」と書いてある。娘の携帯を鳴らしたところ、「母の日のプレゼントよ。ドイツ製で18万円もしたの」と告げられた。

 高橋さんはショックを受けた。20年前、「変形性膝関節症」と診断した担当医から、「このままでは歩けなくなりますよ」と、警告を受けていた記憶が蘇った。それでも、車いすを目の当たりにすると、悲しくて涙があふれ出した。高橋さんは梱包を解くこともなく、車いすを販売元に送り返した。

 そもそも高橋さんの「変形性膝関節症」は、なぜ生じたのか。

「おそらく、女子高時代から始まったかと思っています」

 東京生まれの高橋さんは、都内の女子高で「バスケットボール部」に所属していた。1年365日、休みなく激しい部活動を続け、3年生のときに軸足の右膝周辺がパンパンに膨らんでしまった。痛みもひどい。

 自宅近くにある主治医のクリニックで診察を受けたところ、病名も告げられないまま、老齢の院長から膝に太い注射を刺された。

 洗面器1杯分の黄色っぽい水を抜き取られ、医師から、「もうバスケをやめなさい」と忠告を受けてしまう。しかし、せっかく勝ち取ったレギュラーから外されたくはない。膝の病気を内緒にしながら部活動を卒業まで続けた。

 その間、2週間に1度のペースで通院し、毎回、膝から注射器3本前後の水を抜き取っていた。

 大学時代はスポーツから遠ざかり、やがて結婚。膝の痛みもいつの間にか消えてしまった。

 膝の痛みが再燃したのは、母となった後の40代半ばから。長く歩くと激痛が走るようになった。しかし、日常生活にはそれほどの支障はない。痛み止めの薬や湿布薬を貼って済ませていた。

 50代後半で同居する父親の介護が始まると、「変形性膝関節症」が急速に悪化する。

 体重65キロの父親を入浴させる。ズボンのはき替えや肩を貸したトイレへの誘導など、そのたびに、両膝に力が入った。痛みが走る膝を守るために、腰に過度の力を入れ、今度は「椎間板ヘルニア」を併発した。

「父は晩年、肝機能を悪化させ、半年に1回、約1~2カ月間入院していました。その間、私は毎日通院していたため、膝も腰もボロボロになってしまったのです。しかも、認知症の老犬の介助も重なりました」

 それでも、自転車にはまだ乗れたし、スーパーで買い物をするときは、ショッピングカートを押しながら歩けた。

「娘と海外旅行をした時の楽しい思い出が残っています。でも今は娘と外食するとき、折りたたみの杖なしに移動ができなくなりました。若い頃は杖を持っている老人を珍しそうに見ていましたが、今は見られる側になってしまって……」