余命2カ月から生還 70歳男性“がん宣告”から“消滅”まで

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 2人に1人ががんにかかり、3人に1人が死ぬ時代。生きていくうえでがんは避けては通れない難題だ。がんになったとき、どう考え、対処すべきか。参考になるのは当事者の言葉だ。

「“奥さんを連れて、もう一度来てください”。そう言われた時点で、最悪の事態は覚悟しました。その後のことはよく覚えていません。ただ、涙目の妻に“家族を残して、いま死ぬわけにはいかない”と声をかけたことだけは覚えています」

 昨年6月初旬、大手マスコミの元社員の加藤幸一さん(仮名・70歳)はがんを告知された。前立腺肥大治療の入院を除き、風邪で寝込んだことすらない。告知は他人事のようにも思えた。

 しかし、病状は深刻だった。千葉市立海浜病院の主治医は「肝転移を伴う大腸がんで、病期はステージ4。何もしなければ余命2カ月です。抗がん剤以外、手術も放射線もムリ。人工肛門を覚悟してください」と告げた。

 翌日入院し、CT検査へ。そこで初めて大腸に穴が開き、膿が出ていることを知った。すぐに腹に穴を開けて膿を吸引し、その後人工肛門を作る手術を受けた。本格的な抗がん剤治療が始まったのは入院から1カ月後だった。

「ゼロックスと呼ばれる錠剤だけの治療でした。副作用で手足のしびれや口内炎などに悩まされましたが、そのたびに“最善を期待し、最悪に備えよう”という言葉を繰り返しました」

 この言葉は新聞に載ったある腫瘍内科医の言葉だが、がんと闘う加藤さんの心の支えになった。

「薬もつらいし、“がんを治療せず、放置しようか”とも思いました。末期の膀胱がんの会社の先輩は治療せず80歳でも元気だったからです。私には、私を頼る家族がいる。確実に生き残る道を選びました」

■励ましの本と手紙が

 7月後半に退院し、抗がん剤治療を続ける加藤さんの生きるためのもがきは続いた。多くの書物を読み、友人に相談した。結果、2つの行動を起こす。セカンドオピニオンと自由診療による治療だ。

「常に“別の治療法があるかもしれない”との思いがありました。主治医の承諾を得て、国立がん研究センター東病院でセカンドオピニオンを受けました。結果は“今の治療がベスト”でした」

 最初の治療は間違ってはなかったと安堵したが、死の不安は消えない。

「別の医療機関でオプジーボの治療を受けることも考えました。しかし、がん研の医師から“大腸がんには5%しか効かない”と言われ、やめました」

 道が開けたのはたまたま目にした、がん治療本の新聞広告だった。

「多くのがん治療専門医が懐疑的に見ていた免疫療法の本でしたが、なぜか心引かれました。すぐに著者のクリニックに予約して直接院長の話を聞きました。矛盾は感じず、院長のシャイな話しぶりも信頼できました」

 10日後には抗がん剤治療と並行して免疫療法をスタート。主治医にはクリニックが連絡したが、何も言われなかった。

「内心は反対だったかもしれません。しかし私はこれに賭けたのです」

 その間、学生時代、会社員時代の仲間、親類が、多くの励ましの手紙と本を送ってくれた。どんなに心強かったことか。

 その甲斐あってか、今年4月“がんの消滅”が判明する。大腸内視鏡検査で主治医が「アレッ、腫瘍がない。消滅している。特殊例だ」と絶句したという。その後のPET―CT検査でもがんは見つからなかった。

「どちらの治療が効いたのかは分かりません。なので、しばらくは抗がん剤、免疫療法とも続けるつもりです。治療費は1000万円近くかかりましたが、運がよかった。家族はもちろん、私の希望を尊重してくれた主治医、免疫療法の院長、それに友人の励ましと知恵、勤めていた会社の手厚い社会保障、どれが欠けても私は助からなかった。すべてに感謝です」

 加藤さんの唯一の後悔は、毎年受けている人間ドックで3年前から大腸内視鏡検査を勧められながら無視したこと。

「母親も大腸がんを患ったので素直に検査すればよかった。がんは自分で勉強して自分で治療法を選択すれば生き延びる可能性があると思います」

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