ドキュメント「国民病」

【うつ病】会社という組織がなければ病気と闘えなかった

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 かつて「心の風邪」などと軽く扱われてきたうつ病。その後、薬剤投与など医療による根治療法がないことが分かり、治療は混迷している。いまのところ最良の治療は時間をかけることで、「自然治癒」こそが理想だ。

 東京・板橋区内に住む越川正則さん(仮名・62歳=人材派遣会社顧問)も、10年前に「東京医科歯科大学付属病院」(御茶ノ水)で診察を受けたとき、担当医から「治るまで数年は覚悟して。ただ焦ることなく、自分で脱出する糸口を見つけてください」とアドバイスを受けた。

 結局、数年どころか、症状が目に見えて良くなった今年の春先まで、ほぼ10年の歳月が流れた。この間、症状として「不眠」に続いて「食欲」も失った。独身の越川さんは手料理が自慢で、フランス料理にも挑戦していた。だが、その料理作りが面倒になる。ごはんすら炊かなくなった。

 朝方、眠れないまま起きてテーブルの前に座るが、何か食べようという気が起こらない。コンビニで購入した弁当を無理に食べようとしたが、半分も食べないうちに、顔から汗が噴き出した。

 夜、テレビを見ながらビールを飲んでみても、味がない。好きだったサケのおにぎりを食べても同じである。

 新聞や雑誌も読む気になれず、まさに「無気力」の状態。会社や友人からかかってくる電話に出るのもわずらわしく、携帯電話の電源を切った。

■唯一の救いは会社が給与を振り込んでくれたこと

 1度だけネットで検索し、「日本うつ病センター」(JDC=旧うつ病の予防・治療日本委員会。東京・麹町)に助けを求めて電話をしたことがある。同センターは、うつ病患者の相談を受けたり、講習会などを開いている一般社団法人である。

 そこで、講習会への参加を勧められた。講習会当日、出席するために外出しようと玄関で靴を履いたが、どうしても玄関のドアを開けられなかった。結局、部屋に戻ってベッドで横になった。

「人に会うのが苦痛になり、彼女や友人からいくら誘われても断り続けました。私が創業した人材派遣会社から連絡があっても、話の途中で電話を切ってしまうのです」

 こう回想する越川さんは、会社欠勤を8年ほど続け、自宅のマンションに閉じこもった。

 ただひとつ、救いだったのは、創業した会社が毎月30万円ほどの給与を振り込んでくれたこと。

「社長職は引退しましたが、顧問という形で生活を支えてくれました。会社という組織の助けがなければ、病気と闘えなかったでしょう」

 気分転換のため、朝方に無精ひげ、頭髪伸び放題の姿で散歩に出るが、10分ほどで自宅に戻ってきてしまう。デパートで買い物でもしてみるかと思い立ち、池袋まで出かけてジャケットを購入しようとした。しかし、どれを買っていいのか分からず売り場をウロウロするだけで、2時間かけても決められなかった。

「『無の状態』というのでしょうか。そうなった自分を責めてまた悩むんです。それまでは、群馬に住む母に1年に1度くらいは会いに行き、親父の墓参りも欠かさなかったのが、この8年ほどは実家を訪ねることもありませんでした」

 越川さんの身に、さらなる難事が降りかかる。