「人に会うのが苦痛になり、彼女や友人からいくら誘われても断り続けました。私が創業した人材派遣会社から連絡があっても、話の途中で電話を切ってしまうのです」
こう回想する越川さんは、会社欠勤を8年ほど続け、自宅のマンションに閉じこもった。
ただひとつ、救いだったのは、創業した会社が毎月30万円ほどの給与を振り込んでくれたこと。
「社長職は引退しましたが、顧問という形で生活を支えてくれました。会社という組織の助けがなければ、病気と闘えなかったでしょう」
気分転換のため、朝方に無精ひげ、頭髪伸び放題の姿で散歩に出るが、10分ほどで自宅に戻ってきてしまう。デパートで買い物でもしてみるかと思い立ち、池袋まで出かけてジャケットを購入しようとした。しかし、どれを買っていいのか分からず売り場をウロウロするだけで、2時間かけても決められなかった。
ドキュメント「国民病」