天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

往年のスターホースが教える「心房細胞」の怖さ

順天堂大学の天野篤教授
順天堂大学の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 中央競馬の一年を締めくくる師走の大一番「有馬記念」が迫ってきました。有馬記念といえば、思い出すのが「芦毛の怪物」と呼ばれ、空前の競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップです。もう限界だとささやかれながら、引退レースとして臨んだ90年の有馬記念で、武豊騎手を背に劇的な勝利を飾った名馬です。

 オグリキャップは87年に地方の笠松競馬でデビューし、8連勝を含む12戦10勝の成績を引っさげて4歳(現3歳)1月に中央競馬に移籍しました。移籍後は、クラシック登録がないまま重賞6連勝を達成。古馬を相手にGⅠレースでも名勝負を繰り広げ、一躍トップホースに上り詰めました。

 そんなオグリキャップが、6歳(現5歳)になって大敗を続けるようになります。疲労による体調不良や脚部不安など、さまざまな原因を指摘されましたが、私は「心房細動」が関係していたのではないかと考えています。

 オグリキャップは、デビュー時の馬体重が450キロそこそこで、成長して軌道に乗ったころは480キロ前後でした。その後も徐々に馬体重が増えていき、精彩を欠いた当時は500キロに届いていました。この馬体重の増加が、心房細動を引き起こしていた可能性があるのです。

 心房細動は不整脈のひとつで、心臓が細かく不規則に収縮を繰り返し、動悸や息切れなどの症状が出ます。人間だけでなく、馬などの脊椎動物にも見られる病気で、中央競馬では年間で平均30頭前後が心房細動を発症しています。

 馬の心臓は、心房の大きさが3歳時だと5センチほどで、馬体が大きくなると心臓も大きくなり、心房も6センチ程度になります。心房が6センチになると、「リエントリー」と呼ばれる正常の電気回路とは別の電気の旋回が生じ、ほぼ大多数が心房細動を起こします。心房細動に移行すると心拍出量が2割落ちるため、当然、運動能力は衰えます。

 オグリキャップの場合、馬体重が増えて「脈拍が速くなっていた」と調教師さんが証言しています。このころ、心房細動を起こしていた可能性があるのです。

 結局、オグリキャップはカイバや調教などによって馬体重を絞り込んだことで脈拍の速さが勝てていたころに戻り、引退レースの有馬記念を勝利することができたそうです。おそらく、馬体重を減らしたことで心房細動が改善したのでしょう。

 人間も肥満によって体重が増えると、心房細動を起こしやすくなります。肥満になると、高血圧や高血糖などを合併する可能性が高くなり、心臓に負荷がかかります。心臓は負荷がかかると肥大していき、心臓が大きくなると心房細動を起こし、一部の患者さんでは致命的な脳梗塞に至ることもあるのです。

 近年、中高年になって心房細動を発症する人は、肥満、高血圧、高血糖を基本疾患として抱えているケースが圧倒的に多い傾向があります。かつては、弁膜症などの心臓疾患によって心房細動を起こしていた人が多かったのですが、いまは生活習慣病が引き金になっているのです。

 また、生活習慣病がベースになった心房細動による脳梗塞は、予後が非常に悪いこともハッキリしています。脳血管自体の問題による脳梗塞に比べると、死亡率が高いうえ、助かったとしても半身麻痺や機能障害といった後遺症が残りやすい。脳梗塞の中で、心房細動などによる心原性の脳梗塞は全体の35%ほどですが、後遺症が残る率は脳血管疾患が原因の脳梗塞に比べると70%も多いというデータがあります。

 有終の美を飾って種牡馬になり、充実したであろう余生を送ったオグリキャップのように、天寿を全うするためには心房細動をしっかり防ぐ必要があります。それには、原因になっている生活習慣の改善が重要です。

 心房細動は、発覚した初期に対応すればどんな治療法でも治る確率が高くなります。放っておけば放っておくほど心房の筋肉が衰えることで治りにくくなるので、初期対応が肝心です。初期の段階で、肥満、高血圧、高血糖を是正することによって治る場合もあるので、まずは生活習慣の改善を心がけましょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。