「抗リン脂質抗体症候群」という病気はあまり知られていません。10年前、私が診断された時は、今よりもっと知られていない新たな難病で、症例が少なく、治療法や薬が確立していない状況でした。
この病気を一言でいえば、自己抗体によって血液が固まりやすく血栓ができやすくなる免疫疾患の一種です。心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高くなったり、妊婦の場合、赤ちゃんとつながっている血管が詰まったりすると、死産になる可能性もあるんです。
自分がこの病気だと知ったのは2度目の妊娠の時でした。娘を無事に出産できたのは本当に奇跡だなと思っています。実は初めての子供は死産でした。妊娠6カ月ごろのことです。それでもその子をお腹から出すためには、出産と同じ経緯をたどらなくちゃいけないんです。血液検査で血小板が少ないと指摘された私は、大学病院での出産となりました。起こらない陣痛を薬で起こし、決して泣くことのない赤ちゃんを産むのはつらかったし、悲しかったです……。
主人は、私が亡くなった赤ちゃんと対面した時のショックを心配していましたが、主治医に「ぜひ赤ちゃんに会ってください」と勧められ、会いました。小さいけれど、とってもかわいい赤ちゃんで……。足の形が主人に似ていたり、鼻が私に似ていたりして、涙というより笑顔の対面となりました。
2度目の妊娠が分かった時はうれしさと同時に、無事に出産しなければ! と気が引き締まる思いでした。死産の後はかなりふさぎ込んで、家に引きこもりの状態で……。でも、そんな時、インターネット上で見つけた言葉がありました。
「亡くなった子は、毎日あなたに小さな幸せを運んできている。あなたはそれに気づいていますか?」という内容でした。ハッとして、前向きに生きるきっかけになりました。
その後、主人と毎晩、「小さな幸せ報告会」をするようになりました。「今日は空がきれいだった」というような何でもないことをベッドに入って報告し合うという(笑い)。そうやって元気を取り戻していった結果、立ち止まることなく、前に進むことができました。
■自分のブログにあった書き込みで光が見えた
でも「抗リン脂質抗体症候群」と分かったのもこの時です。血液検査でやっぱり血小板が少ないので、詳しく検査をして判明したのです。「出産は厳しい。うまくいくか分からない」と告げられました。光が見えたのは、自分のブログで病名を公表したら、ある大学病院の先生から「うちの病院ではこういう出産例がある」との書き込みをいただいたことです。血液を固まりにくくする注射を出産間際まで毎日、打ち続けるという方法でした。
主治医とも相談して、それをトライしてみることになったのですが、ひとつ問題がありました。私には尋常ではない注射へのトラウマがあったんです。7歳の時に海外で仕事があり、具合が悪くなって現地の大きな病院にかかった際、現地独特の原始的な血液採取をされ……。それがあまりにも衝撃的だったので、以来、注射という注射は気絶してしまうほど拒否反応があったんです。
でも“母は強し”ですね。妊娠5カ月のころから、雨の日も風の日も毎日、注射のために通院しました。むしろ、注射することが子供の命を生かしているという安心感につながったので、トラウマはすっかり克服できました(笑い)。
そうはいっても、妊娠中は不安の連続でした。途中、関節痛をきっかけに、これも難病指定の「全身性エリテマトーデス」という膠原病の症状も併発してしまったんです。思い余って、夫に「この先、もし私と子供のどちらかしか助けられないと言われたら、子供を助けてほしい」とお願いしたりして……。
結局、妊娠9カ月でしたが、赤ちゃんが2000グラムを超えたところで無事に出産しました。息をしたまま外の世界を見せてあげることができて本当によかった。つくづく、人は奇跡に奇跡を重ねて生まれるんだなということを学びました。
■死産や流産を減らすため講演活動
私は、まだまだ認知度の低いこの病気や、お腹の中で赤ちゃんがうまく育たない「不育症」という言葉を多くの人に知ってもらうことで、死産や流産を少しでも減らせると信じて講演活動をしています。妊娠中、抗リン脂質抗体症候群という病名をブログで公表した後、ある責任みたいものを感じました。もし私が出産できなかったら、この病気の世間のイメージが悪くなってしまう。だから、私は絶対に無事に赤ちゃんを産まなければ! と。それは苦しくもありましたが、大きな励みにもなりました。
娘ももうすぐ10歳になります。私の病気は今も治ったわけではなく、薬を飲んでいますし、2~3カ月に1回は通院して血液検査をしています。でも、生活は至って普通です。私だけが特別な出産をしたわけでもありません。妊娠や出産はどのお母さんにとっても同じ。みんな命懸けなんです。
▽ました・このみ 1978年東京都生まれ。4歳で出演したキッコーマン「ガンバレ玄さん」のCMで一躍人気者になる。以来、天才子役として活躍するが、中学入学を機に芸能活動を自粛した。2003年に米国留学から帰国し、写真家デビュー。04年に結婚し、07年に1児の母となる。Amebaで子育てブログを毎日更新中。
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