天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

うつ病は心臓にも大きなダメージを与える

順天堂大学医学部の天野篤教授
順天堂大学医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 技術の進歩によって情報処理速度が加速するなど、社会がどんどん複雑化するにしたがって、うつ病の患者さんが増えています。そして、うつ病は心臓疾患と大きく関係しています。

 海外の研究では、うつ病患者は、そうでない人に比べて冠動脈疾患の発症リスクが約2・5倍アップするという結果が出ています。

 また、うつ病患者が心筋梗塞を発症した後は、心血管疾患で死亡する確率が5倍になるという報告もあります。逆に、冠動脈疾患によってうつ病の発症リスクが2.8倍になることもわかっています。

 うつ病と心臓疾患が関連するメカニズムについては、さまざまな要素が考えられます。まず、うつ病などの精神疾患に使われる向精神薬は、ほとんどに血管作動性があります。血管の平滑筋に作用して、収縮させたり弛緩させたりするのです。その作用の個体差や、服薬をきちんと守れないなどのストレスによって血管にダメージを与えてしまい、心臓にトラブルを引き起こします。中には、「薬剤性QT延長症候群」という心臓疾患を招くケースもあります。心電図波形の中でQ波とT波の間の時間が延びてしまい、心室頻拍や心室細動といった命に関わる不整脈を起こしやすくなる病気です。

 また、うつ病はストレスと深い関わりがあるため、うつ病になると自律神経のバランスが崩れて副腎皮質ホルモンや甲状腺ホルモンの血中濃度が増加したり、神経伝達物質が増えたりします。いずれも、過剰になると血管や血流に悪影響を与えるので、心臓に負担がかかってしまうのです。

■手術前後の薬の管理が重要

 心臓疾患を抱えているうつ病患者さんの手術をするケースももちろんあります。その際は、手術の前後に使う薬のコントロールに細心の注意を払わなければなりません。うつ病の人は、うつ状態からハイな状態に転換したときに、自殺を決行する傾向があります。自殺というのはひとつの症状ですから、薬をしっかりコントロールして、まずはそれをしっかり防ぐ必要があるのです。

 うつ病患者さんの心臓手術を行う場合、手術の前に、それまで服用していた向精神薬を中止したり、減らしたり、飲み薬を点滴に変えるなどの準備をします。飲み薬は、口から飲んで消化管で吸収されるため、状況によって血中濃度が不安定になります。しかし、点滴で血液中に直接、薬剤を注射すると、薬の成分の濃度を管理しやすくなるのです。

 また、手術が控えているとなると、精神的にも不安定になりやすい状態です。さらに、うつ症状が悪化して、患者さんの社会に対する関心が低くなってしまうと、手術をする意味も小さくなってしまいます。患者さんが「どうせ自分なんて、いてもいなくても関係ない」と思い始めると、「手術なんてしなくてもいい」と考えてしまいます。実際、手術の直前になって「やっぱり手術はやめます」となってしまうケースもあるのです。

 そのため、当院では、精神科の医師にも診てもらいながら、4~5日かけて薬をきちんとコントロールしてから手術に臨みます。

 近年は、女性の社会進出が進み、セクハラやパワハラなどの問題がクローズアップされるケースが多くなりました。精神的に大きなダメージを受けている女性も増えています。心臓疾患の中には、女性がかかりやすいものがあります。大動脈弁狭窄症や一部の不整脈といった病気がそれに当たり、そうした心臓疾患を抱えている女性の患者さんを治療する際は、バックグラウンドに精神疾患がないかどうか、細心の注意を払います。

 もし、精神疾患がある場合は、術後にできるだけ心臓の薬を使わなくて済むような治療法を考えます。たとえば、弁膜症で機械弁を使った弁置換術を行うと、術後は血栓ができないようにする薬を服用し続けなければなりません。そうなると、精神疾患のために服用している向精神薬との飲み合わせが悪いケースがあるからです。

 今後、さらにうつ病の患者さんは増えるでしょう。心臓疾患との関係や治療に対する知識がさらに重要になってくるのは間違いありません。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。