「多死社会」時代に死を学ぶ

医療が介入しないと納得しない風潮に問題がある

写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

「がんなら最後まで自分の意思が表示できるため、自分の死について希望が言えます。ところが、虚弱高齢者は亡くなる間際に自分の意思を表示できなくなることが多い。結局、代理判断する家族や親戚を納得させられるだけの根拠が欲しいのです。それには、『病院に送ったのですがダメでした。手を尽くしたのですが……』といったように、『ある程度、医療が介入したが回復しなかった』と言えるプロセスが大切だと述べる施設関係者もいます」

 それが老衰死のみとりを妨げ、体中にチューブやセンサーをつけた“スパゲティ症候群”で亡くなる人を増やしているのだ。

 点滴や酸素吸入もしない、医師もいない状態で亡くなっていくのは悪いことではない。むしろ、亡くなる本人にとっては楽かもしれない。しかし、そうするためには周囲が死を学び、それを理解する必要がある。

「今はお年寄りであっても、人の死に立ち会ったことがない人が増えている。立ち会ったとしても病院死しか見ていないから、死は不安で苦しくて怖いもの。医療を通過しなければいけないものと思い込んでいるのです。大切なのは、周囲の人が『衰弱死は悪くない。いいんだ』と理解していくことです。それには、死を学ばなくてはなりませんし、それを『自分のこと』と考えておかないと、自分の死はひどいことになると覚悟する必要があります」

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