Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

渡瀬恒彦さんのケース<上> がんなら家族が満足する介護できる

渡瀬恒彦さんは享年72
渡瀬恒彦さんは享年72(C)日刊ゲンダイ

 壮絶な最期だった――そんなふうに語られているのが、胆嚢がんによる多臓器不全で亡くなった俳優・渡瀬恒彦さんです。享年72。ファンとしてはショックですが、所属事務所が「幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントしているように、本人は幸せだったのではないでしょうか。

 なぜ幸せと思えるかというと、15年秋の診断以来、抗がん剤と放射線治療で入退院を繰り返しながらも、仕事を大切にして、治療の合間を縫って現場に復帰されていたこと。4月スタートのドラマに合わせ、2月まで撮影に臨み、2月中旬からの入院後も撮影スタッフは渡瀬さんの復帰を待っていたといいます。亡くなる直前まで大好きな現場にいられたのです。

 その後、気胸や敗血症を併発。今月14日に息を引き取ります。亡くなる前日は、「やせた様子もなく、容体は安定していた」と報じられているので、その後に急変したようです。

 ポイントは、ここ。がんは、治療法の選択次第で仕事や生活を続けながら、ぴんぴんコロリで亡くなることができる病気なのです。仕事を大事にしていた渡瀬さんは、仕事に穴をあけるような無理な治療を選択していないことがうかがえます。2年前に肺がんで亡くなった愛川欽也さん(享年80)も、人気番組の司会を終えて1カ月後の訃報でした。渡瀬さんと同じ胆嚢がんだった大沢啓二さん(享年78)も、最期までテレビ番組で「喝」を入れています。

 多臓器不全は、がんの転移などで複数の臓器の機能がダウンした状態でがんの末期によく見られます。そこまでいかなくても、転移が見つかった時に体に負担の重い治療を行うと、それで体力や抵抗力が奪われ、かえってよくない結果を招くことも。渡瀬さんは恐らくそんな治療をせず、緩和ケアなどで痛みを取り除く治療にとどめ、緩やかなスローダウンを受け入れたのだと思います。

 これまでの経験から、がんで動けなくなると、せいぜい1週間ほどで最期を迎えます。それが大きな意味を持つのは、患者を支える家族の介護の負担です。

 ある子宮頚がんを克服した30代女性はその後、肺がんで苦しむ70代の父に寄り添うことに。その時もインフルエンザから気胸を併発。容体が悪化してから1週間、妻と2人の子供に見守られての最期でした。

 1週間という期間なら、みんなががん患者に思いを寄せながら、介護を乗り越えることができます。みとった後、やり切った感を覚える方も少なくありません。愛情を持って見送ることができるのです。認知症や脳卒中の後遺症を抱えて、何年も介護が続くのとは決定的に違いますから。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。