独白 愉快な“病人”たち

夫の言葉に導かれ だいたひかるさん「乳がん闘病」を語る

「笑いの大切さを知ったのも病気のおかげ」と語る
「笑いの大切さを知ったのも病気のおかげ」と語る(C)日刊ゲンダイ

 自分の知る限り、“がん家系”ではありませんでした。だから「乳がん」と診断されたときは、本当に自分の身に起こったことなのか、にわかには理解できませんでした。でも、後で「どんな人ががんになりやすいのか」と自分なりに調べたら腑に落ちることばかり。ジャンクフードに浸り、運動不足で、アルコール好き……。そのころは、毎日ワインを2本ぐらい飲んでいて、医師から「アルコールを抜かないと麻酔が効かない」と言われたほどでした。だから、手術前は肝臓を慎重に調べられたんです。変な話、「乳がんだけでした」と医師に言われたときはホッとしました(笑い)。

 乳がんがわかったのは、不妊治療を始めて2年が経過した2016年初頭です。38歳で結婚したので、妊娠を最優先に考えて結婚後すぐに不妊治療を始めました。でも、なかなか子供ができずにいよいよ体外受精をすることになったのです。16年1月2日は、受精卵を子宮に戻すという移殖の日の予定でした。数日休みをもらって万全の態勢だったのに、予定より早く生理が始まってしまい、移殖が中止になったのです。

 ぽっかりできた休みに、その年、唯一残っていた乳がん検診のクーポン券を使うことにしました。すぐに予約が取れて受診したら、触診でいきなり「右しこり」と言われたんです。「え?」と思っていると、次はマンモグラフィー検査で「乳がんの可能性が十分にある」と告げられました。さらに細胞を採って調べることになり、「検査結果はご主人と一緒に来てください」と言われ、完全にコーナーに追い詰められた感覚でした。

■医師に思わず「オススメはなんですか?」

 結果は「右乳房の乳がんステージⅡA」との診断。後にリンパ節にも転移していることがわかり、最終的には「ステージⅡB」でした。しこりは約3センチと大きかったものの、早期に近かったので乳房は3分の1温存できるとのことでした。ただ、「温存すれば再発のリスクが残る」とか、再建手術がうんぬんという説明も同時にされたため、それがまるでお経のように感じられて……。結局、私が主治医に言えたのは「オススメはなんですか?」という変な質問だけ。主治医は「(右乳房)全摘です」と言い、夫も賛成したのでオススメを選択しました。

 悩まなかったといえばウソですけれど、「命か胸か」と言われたら答えはおのずと出ていました。右胸がなくなるのは寂しかったですが、ものは考えようです。心が傷つかない方法をいろいろ考えて、そのときは「小学生に戻ったと思えばいいや」と自分を納得させました(笑い)。

 入院は2月下旬。手術を受けた夜、背中が痛くて何度もナースコールをしたときも、「もしここが野戦病院だったら、ナースコールなんてないんだ」と妄想して、自分の幸せを噛みしめました。翌日からは、もう歩いてレントゲン室に行ったり、数日後にはドレーン(排液管)を付けて仕事をしたり、家が近かったので毎日、夕飯を作りに帰ったりもしました。

 ただ、手術より悩んだのは、その後に始まる抗がん剤治療でした。医師から「抗がん剤は子宮にもダメージがあって、そのまま閉経してしまうかもしれない」と言われたので、本当は嫌だったんです。毛が抜けるのなんてどうでもいいけれど、子供を産みたいという思いが最後まで決断を鈍らせました。でも、「子供が生まれても、君がいなくなったら意味がない」と夫に言われ、4月から半年間の抗がん剤治療を受けました。

 ご多分に漏れず脱毛はしましたが、イメージしていたよりも吐き気は軽く、味覚障害もありません。薬はどんどん進化しているんですね。

■がんを経験して一つ個性が増した

 ツライとき、夫が「君はいま、人間の深みを増しているんだよ」と素敵なセリフで励ましてくれたので、私もその気になって「この際、がんがどんなものか見渡してやろう」と思いました。

 また、治療を共にする友達をたくさんつくって話を聞いてみると、乳がん患者は思った以上に多いし、早期で見つかれば世間がイメージしているほど大変じゃないし、治療をしながら仕事をしている人もたくさんいるんです。だから「がんは個性」で、私は一つ個性が増したと思っています。芸人として個性が薄かったから、ちょうどよかった(笑い)。

 他にも新しい発見がいっぱいありました。たとえば、抗がん剤治療中は化粧乗りが人生で一番よかったこと(笑い)。毛という毛が抜けたから、“薄付き”で最高でした。手術も抗がん剤も初めは怖いけれど、人ってだんだん慣れるんですね。そういうことも発見でした。

 いまさらですが、笑いの大切さを知ったのも病気のおかげです。苦しいからこそ笑いに救われる。「お笑い」ってすてきな仕事だなと改めて思いました。

▽1975年、埼玉県生まれ。美容学校を卒業して、美容師として数年間勤めた後、98年に深夜番組「ブレイクもの!」(フジテレビ系)で5週勝ち抜き、芸能界デビュー。02年にはピン芸人コンクール「R-1ぐらんぷり」の初代優勝者となる。乳がん治療を経て、16年12月に活動を再開した。

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