「認知症」を知るための20週間

「認知症専門病院」は精神病院だった

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 今年1月に兵庫・西宮で開かれた「かいご楽快」では、認知症介護にかかわるさまざまな立場の人が全国から集まり、発表が行われた。ひときわ衝撃的だったのが、精神病院から認知症の家族を奪還した実体験だった。

 Aさんの父親(83)は5年前に認知症と診断され、78歳の母親が支えてきた。ところが昨年から暴言や徘徊が急激に目立つようになった。母親は「人さまに迷惑をかけられない」との気持ちが強く、すべて自分で抱え込もうとするあまり、ストレスが高じ、父親にきつく当たる。すると父親も喧嘩腰になる。物静かな父親だったのに、母親に手を上げ、母親の鼓膜が破れるということもあった。

「どうしていいのか、全くわからない状態。父親の担当医に相談すると、精神科への入院を勧められました」

 しかし精神科への抵抗があり、断ると、途端に担当医の態度が冷たくなったように感じた。必死で情報を集め、ケアマネジャーから「評判がいい」とお墨付きを得たのが、ある「認知症専門」病院。見学すると、入院患者は車イスに拘束されているものの「認知症専門だし大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、その場で入院を決めた。

「男性スタッフに押さえ込まれるように、小さい窓がついた隔離部屋に父親は入れられました。その後、4人部屋へ移されましたが、ベルトのようなもので腰がベッドに固定され、足も布で縛り付けられました。痛がるので“緩めてくれますか”と頼むと、抜けるからダメだと、かえってきつく縛られました」

 差し入れの食料はチェックされ、隣のベッドでは「帰せ!」と泣きわめくおばあさん。この状況では、健康な人でも心身が壊れるのではと、Aさんは思ったという。

 とにかく父親を出そうと老健施設に片っ端から電話したが、そういう患者を受け入れてくれるところはない。3カ月目に別の病棟へ移動。そこはプレハブ造りのような建物で大部屋にベッドがずらり並べられ、カーテンの仕切りもない。そんな中で、オムツ交換などがされていた。

「いろんな人の手を借りて、なんとか退院させて在宅介護ができるようになりましたが……。“認知症専門病院”が、実は精神病院だったと知ったのは、入院させてしばらく経ってからでした」

 Bさんが80代の父親の異変に気付いたのは昨春だった。自宅近くの中規模病院へ連れて行くと、神経内科での検査の結果、右海馬に小さな梗塞が見られ、入院して治療を受けることになった。

 2週間の入院で脳梗塞の治療は終了。しかし、退院時には別人のようになっていた。歩けなくなり、興奮状態が続き、「宗教施設に連れて来られた!」と騒ぐ。

「母親も私も、父親の介護で精神的に追い詰められました。そんな時ケアマネから『精神病院なら医療負担1割』と聞き、渡りに船と、半ばだまして入院させました」

■無知は罪

 その方が父親のためになると思ってのことだったが、すぐに後悔に変わったのは、Aさんと同様だ。このままでは父親が殺される! 冒頭の「かいご楽快」を主催する「NPO法人つどい場さくらちゃん」の丸尾多重子さんへ助けを求めた。

 十数年にわたり多数の認知症家族や介護者の悩みに応えている丸尾さんは、これらのケースは決して珍しいものではないと断言。Aさん、Bさんが口にしたのは「認知症について知らなすぎた。それが安易に精神病院へ入院させることにつながった」と話す。丸尾さんが指摘するのも、「無知は罪。大事な家族を守るには、まず認知症を知らなくては」ということだ。