脳梗塞から生還 ラモス氏が知った“自分を休ませる”大切さ

「これからも吠えるよ!」とラモス瑠偉氏
「これからも吠えるよ!」とラモス瑠偉氏(C)日刊ゲンダイ

 2016年12月30日だった。元日本代表「背番号10」MFラモス瑠偉氏(60)のオフィシャルサイトに「活動休止のお知らせ」が載った。

《29日に体調不良を訴えて医療機関で検査。活動を一時休止することになりました。現時点で休止期間未定。早期復帰を目指して家族やスタッフ一同がサポートして参ります。温かく見守って下さい》

 前日29日の午前7時20分ごろ。都内の自宅のベッドから転落しているところを俊子夫人が発見。すぐに緊急搬送され、脳梗塞という診断が下された。「あの元気なラモスさんが入院だって? 何かの間違いだろう?」「大げさに言ってるだけじゃないの? 少し前もラモス節を炸裂させてたじゃないの」――。ラモス氏を知る人たちは「入院」の2文字に違和感を覚えつつ、こう考えていたようだ。

 だが、救急車に乗せられたラモス氏は、朦朧とする意識の中で「これってホントのこと? オレ、どうしちゃったの? ウソだろ?」と自問自答していたという。医師団の治療とファミリーの介護で死の淵から生還したとはいえ、当時を「三途の川の手前まで行った」と振り返る。シリアスな状況だったことは間違いない。強靱な生命力と不屈の精神で大病を克服したラモス氏が、ゲンダイ読者に思いの丈を話してくれた。

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 目が覚めたら、体が痙攣していた。それでベッドから落ちてしまった。何とか戻ろうとするんだけど起き上がれない。そうこうしているうちに奥さん(俊子夫人)が異変に気付いてくれた。ホント(ベッドの下に)落ちて良かったよ。ベッドの上にいたままだったら(脳梗塞発症を)気付いてもらえなくて、死んでいたところですよ。今は天国にいる初音(1984年に結婚。2011年7月に転移性肝がんで急逝)が、ベッドから落としてくれたと思う。そして俊子が救急車を呼んでくれた。その判断が良かった。ホント、命の恩人だよ。(2月14日にリハビリ病院を)退院した時にも思ったんだけど(その時点で)4月に生まれる初孫は女の子って分かっていた。ホント、ラモスってオンナに恵まれているよ。

 病院に担ぎ込まれ、ドクターに「脳梗塞です」と言われた時、このまま逝ってしまうんじゃないのか……って凄くビビりましたよ。さらにドクターから「これから2週間は容体に変化があるかもしれません」と聞かされた時には、再発するかもしれない、そうなったら今度こそ逝ってしまうに違いない――と。ホント、珍しいことにネガティブなことしか思いつかなかった。神様にお祈りしながら「もう一回生きるチャンスを与えてください」と何度もお願いしたんですよ。

 死ぬのが怖いんじゃない。サッカーを通じて知り合った仲間たち、奥さんや娘、息子と二度と会えなくなったらどうしたらいいの? そんなつらいことに耐えられるわけがない。そう思いながら一生懸命にお祈りしました。奥さんに聞いた話だと、梗塞した部分は広かったけど、言語と運動機能の神経はギリギリ助かった。退院した頃は、左腕や左足がしびれることもあったけど、もう大丈夫。これからもラモスは吠えるよ! でも……。

 これまで《強く生きてきた》と思っている。しかし、今回の脳梗塞で分かった。ゆったりと過ごす時間を大事にしながら《自分と向き合う時間の大切さ》がホント、よく分かった。2014年1月に(J2)岐阜の監督に就任して2016年7月に辞めることになったけど、その3年間、ほぼ完全オフがなかった。チームの仕事がない時やオフシーズンでも、サッカースクールや講演会なんかがあったし、とにかくほとんど休まないで動き続けた。

 それから昨年の後半は、明らかにトレーニングをやり過ぎた。(2017年)1月8日、静岡で「サッカー日本・韓国OB戦」(JAPAN VS KOREA LEGEND MATCHと銘打たれた一戦は、両国元代表選手やJ創成期に活躍した日韓レジェンドが一堂に会した)が計画されていた。そこでみっともないプレーはできないと、とことんトレーニングをやってしまったんですよ。それまで監督をやるにしても、プライベートで何かするにしても、全力でぶつかってはストレスをため込んでいた。心身ともに《自分を休ませる》ことがいかに大切か、今はホント、実感させられていますよ。

(取材・構成=フットボールジャーナリスト森雅史/日本蹴球合同会社)

○5月7日・日曜午前11時~のテレビ東京「フットブレイン」にラモス氏が登場。激動のサッカー人生を語る(8日・月曜午前2時10分~、BSジャパンで放映)。

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