独白 愉快な“病人”たち

星奈津美さん バセドー病乗り越え知った「練習できる幸せ」

「病気を通して成長できた」と語る星奈津美さん
「病気を通して成長できた」と語る星奈津美さん/(C)日刊ゲンダイ

 最初に「バセドー病」と診断されたのは16歳、高校1年のときでした。軽いトレーニングでも苦しかったり、教室のある4階まで階段を上るだけで心臓がバクバクと動悸が激しくなったり……。一番戸惑ったのは、授業で発言するときに手足が震えて言葉が出なくなったことです。

 病院で診察を受けたところ、甲状腺ホルモンが多量に分泌されるバセドー病と診断されました。ショックでしたが、その半面、不調の原因が分かってホッとした部分もありました。母が「水泳は続けられますか?」と先生に尋ねたときは不安でしたが、先生はスポーツに理解があって、「やめなくても大丈夫。少しお休みして薬を飲んで数値が安定すればまた泳げますよ」と言ってくださいました。

 それから2~3カ月で体調が落ち着いてプールに戻ることもでき、そのまま24歳まで投薬治療を続けました。その間、北京、ロンドンとオリンピックも経験できて、体調も安定していたのですが、2014年夏の大会が終わった後、検査に行ったら、先生から「この状態でよくレースに出て、泳いでいましたね」と言われてしまって……。

 甲状腺の数値を見たら、前回よりも1.5倍ほど高い数値になっていたんです。指示通りに投薬も続けていたのですが、「ストレスなどによって体調が変化することがある」と説明を受けました。さらに、「薬を増やして、無理はしないでください」と言われましたが、その頃はリオまで1年8カ月しかない時期でした。母に電話をかけ、「無理をしないなんて無理……ストレスだってかかるに決まっている」と訴えながら泣いてしまいました。

 それでも、母は冷静に「ほかに治療法があるかもしれないから、病院に戻って話を聞いてきなさい」と言ってくれました。その言葉に励まされて病院に戻り、先生に気持ちを伝え「私には時間がない」と訴えたんです。

 その結果、先生が提案してくださったのが手術でした。「手術をすれば、1カ月ぐらいで復帰できる」と言われました。それまで手術はリスキーだと思っていたのですが、「早く手術をして治したい」という気持ちが強く、3週間後に手術を受けました。幸いなことに回復も早くて5日で退院でき、1カ月後にはプールに戻れました。

■コーチの提案でシュノーケルを着けてバタフライ

 当初はリハビリとしてトレーニングをしたいと思っていました。でも、腹筋をすると首に力が入って痛みが出るし、走っても振動で痛いんです。復帰したのは12月だったのですが、水泳は冬場にハードな練習を繰り返します。それなのに、リハビリ程度のことも痛みでこなせず、首を上げ下げするバタフライも練習できずにクロールを流す程度で精いっぱい……。その状況に焦りました。

 そんな私の様子を見ていてくれたんだと思います。復帰して2週間くらい経った頃、平井(伯昌)コーチが「今日はバタ(フライ)やってみるか」と言うんです。しかも200メートルを10本! 正直、「この人は何を言っているんだろう」とびっくりしました。

 すぐに「無理です」と返事をしたのですが、コーチは「いいからシュノーケルを着けてやってみろよ」と笑顔で勧めます。その方法だと首を上下に動かす息継ぎはしなくても泳げるんですよね。で、不安な気持ちのまま挑戦してみたところ、無事にクリアできたんです。これは大きな自信になりましたし、純粋にバタフライを泳げてうれしかった。普段は「自分はなんでこんなにキツイ種目を選んだんだろう」「誰がこんな泳ぎを考えたんだろう」なんてバタフライの選手同士でよく言い合っているんですけど(笑い)。

 バタフライを泳げてうれしいと感じられたのは、小さい頃に泳ぎを覚えたとき以来でした。そういう気持ちを再び味わえたことが自分にとって大きなプラスになった。本当によかったなと、今は思います。

■リオでは最後のひとカキまで全力を使い切れた

 それから1カ月後にはシュノーケルを外して通常のトレーニングができるまでに回復し、おかげさまで半年後の日本選手権で優勝。その4カ月後の世界水泳で金メダルを取ることができました。そして、オリンピックシーズンに入る直前に、先生から「もう、バセドー病ではなくなりましたよ」と告げられました。病気に対する不安から解放され、本番を迎えられたのです。リオでは、「この腕が、この脚がどうなってもいい」と思い、最後のひとカキまで全力を使い切れました。金メダルには届きませんでしたが、すごく充実感がありました。

 周りから「病気を克服してすごい」と言っていただくことが多いのですが、私自身は苦労して乗り越えたというよりも、一つ一つの場面で「病気をしたからこそ、こうなれた」と捉えていることが多い気がします。毎日練習できることが当たり前ではなく、幸せなことなんだと感じられましたし、手術をしたからこそ気持ちも体もリセットされ、前向きに頑張れた。病気を通して成長できた、プラスになった。そんなふうに思えるのです。

▽ほし・なつみ 1990年、埼玉県生まれ。1歳半からベビースイミングを始める。高校1年、2年のインターハイで200メートルバタフライを連覇。早稲田大学在学中に学生選手権200メートルバタフライで4連覇を達成する。2008年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと3大会連続で五輪に出場し、ロンドンとリオでは200メートルバタフライで銅メダルを獲得。昨年10月に現役引退を表明した。

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