日本で明治時代に起きた「かっけ」論争の続きです。
日本海軍の軍医だった高木兼寛と同時代の医者の王道は、東京帝国大学医学部からドイツへ留学して、ドイツ医学を学んで日本に帰ってくるというものでした。高木の英国留学という経歴は、当時としては邪道であったわけです。
その東大卒ドイツ医学の王道のトップに、陸軍軍医制度の確立に尽力した石黒忠悳がいます。石黒は「かっけばい菌説」を掲げ、高木の「タンパク質不足説」に反論します。石黒は、かっけは農民に少なく軍人に多いことを指摘し、「タンパク質不足が原因であれば、この事実が説明できない」と言います。さらに、地方より肉食の多い東京でかっけ患者が多いことも指摘します。確かに納得のいく反論です。
さらに東大医学部教授の大沢謙二も、「栄養不足が原因であるなら、アイルランドのような貧しい国でかっけがまったくないことが説明できない」と主張。また、同じ土地でも年によって流行しないことがある点を指摘し、「タンパク質不足説」に反論します。食事を洋食に変えた戦艦「筑波」でのかっけの減少も、流行しなかったに過ぎないと説明することもできる。少なくとも栄養の問題ではないというわけです。これもまったく妥当な批判です。
事実これらの反論に対して、「タンパク質不足仮説」を採る限り、正当な反論は不可能です。
こうした“まっとうな批判”により、かっけの撲滅はなかなか進みませんでした。議論が健全であったために、むしろ問題の解決が先送りされたわけです。
科学的な態度と問題解決の乖離、この問題はいまだに解決されない現代的な問いの一つです。科学的な態度の徹底は必ずしも良い結果を生むことを保証しないのです。
数字が語る医療の真実