「切りましょう。スッキリしますから」
34歳のときに十二指腸潰瘍を患った私は、医師にこう告げられ、胃の4分の3を切除する手術を行った。取材中に水あめのようなヨダレが出たり、下痢や便秘を交互に繰り返したり、常に胃がズキズキと痛む状態だった。注射を打つと一時的にその症状は治まるものの、毎日がたまらなかった。
それだけに手術には同意したが、潰瘍を治すにあたって胃をこれほど切る必要があるのかということには疑問を持った。
「そんなに切るんでしょうか? それって胃がんではないでしょうか」
こう質問してみたが、違うという返答だった。医師は「今、手術しなければ、酒が飲めなくなる」と続けた。これが私には一番つらかった。
ところが、手術後に高熱が出て、2週間の予定が、入院は何と2カ月に延びた。今なら明らかに医療ミスということになるが、当時の私は多くの患者がそうであるように、病気や治療について無知だった。文芸美術国民健康保険の高額医療の助成はあるものの、納得がいかないまま2カ月分の入院代を支払った。
あれほど酒を飲んでいたのだから、そろそろ何か来るなという予感はあった。人間が一生のうちに飲めるアルコール量は、おおよそ500キロらしい。すでに私は34歳の時点で超えていた。
中学生の頃、オヤジが大事にしていたウイスキーをこっそり飲んだ。しがない作家だったオヤジは、いつか飲もうと、贈り物の高級ウイスキーを後生大事に応接間かどこかに並べていたが、息子に飲まれたと知って大変激怒したものだ。
私は原稿を書きながら飲むことはしない。むしろ、この原稿を書き上げれば飲めると思うから、一生懸命になる。楽しみは後に取っておくタイプだ。
ただ、当時は猛烈に仕事をした。いや、業界自体が今の10倍はあり、次々に新刊の依頼が来る。連載を書いてる途中でまた新しい雑誌が創刊される。担当編集者が新雑誌に異動になると、「次はこっちで連載を」とやってくる。あまりに連載が多過ぎて、時々、この雑誌は何がテーマだっけ? と迷うほどだったが、編集者も編集者で「あの話の続きは、こっちの雑誌で書いてくれ」とむちゃな注文をしてくる。「さすがにそれは無理でしょう」と断ったほどだ。当然、仕事をした分だけ酒量は増えた。
私はある著名な作家の先輩に相談した。すると「来た仕事は、迷ったら受けなさい」と名言のような助言を受けた。その結果、来た仕事をすべて引き受けて体を壊すわけだが、その大先輩は自分だけさっさと休筆宣言してしまった。話が違うと思ったが、また仕事が増えてエライとばっちりだった。
余命4カ月と言われた私が今も生きているワケ