余命4カ月と言われた私が今も生きているワケ

胃の4分の3を切った後の高熱は明らかに医療ミスだった

猛烈に仕事をこなした(C)日刊ゲンダイ

 あれほど酒を飲んでいたのだから、そろそろ何か来るなという予感はあった。人間が一生のうちに飲めるアルコール量は、おおよそ500キロらしい。すでに私は34歳の時点で超えていた。

 中学生の頃、オヤジが大事にしていたウイスキーをこっそり飲んだ。しがない作家だったオヤジは、いつか飲もうと、贈り物の高級ウイスキーを後生大事に応接間かどこかに並べていたが、息子に飲まれたと知って大変激怒したものだ。

 私は原稿を書きながら飲むことはしない。むしろ、この原稿を書き上げれば飲めると思うから、一生懸命になる。楽しみは後に取っておくタイプだ。

 ただ、当時は猛烈に仕事をした。いや、業界自体が今の10倍はあり、次々に新刊の依頼が来る。連載を書いてる途中でまた新しい雑誌が創刊される。担当編集者が新雑誌に異動になると、「次はこっちで連載を」とやってくる。あまりに連載が多過ぎて、時々、この雑誌は何がテーマだっけ? と迷うほどだったが、編集者も編集者で「あの話の続きは、こっちの雑誌で書いてくれ」とむちゃな注文をしてくる。「さすがにそれは無理でしょう」と断ったほどだ。当然、仕事をした分だけ酒量は増えた。

 私はある著名な作家の先輩に相談した。すると「来た仕事は、迷ったら受けなさい」と名言のような助言を受けた。その結果、来た仕事をすべて引き受けて体を壊すわけだが、その大先輩は自分だけさっさと休筆宣言してしまった。話が違うと思ったが、また仕事が増えてエライとばっちりだった。

2 / 2 ページ

高橋三千綱

高橋三千綱

1948年1月5日、大阪府豊中市生まれ。サンフランシスコ州立大学英語学科、早稲田大学英文科中退。元東京スポーツ記者。74年、「退屈しのぎ」で群像新人文学賞、78年、「九月の空」で芥川賞受賞。近著に「さすらいの皇帝ペンギン」「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」「がんを忘れたら、『余命』が延びました!」がある。