天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

乳がん手術後に放射線治療を受けている患者さんのケース

順天堂大学医学部の天野篤教授
順天堂大学医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 まだ34歳だった小林麻央さんの命を奪った乳がんが、あらためてクローズアップされています。その乳がんが心臓の手術にも大きな影響を与えるケースがあります。患者さんがかつて受けた乳がんの治療によって、心臓手術の難易度が上がってしまうのです。

 いまから40年以上前に乳がんの治療を受けた人は、乳房の全摘手術を行っています。さらに、放射線治療を受けているケースが一般的です。そうした患者さんは、皮膚が弱くなっていることに加え、胸に放射線を強く広く当てていた影響で、心臓付近の癒着が酷い状態になっています。さらに、放射線を当てた範囲の血管で石灰化が進み、弁にも影響が表れることで冠動脈狭窄症や大動脈弁狭窄症、不整脈などの病気が起こります。

 これらはすべて放射線治療による“後遺症”といえます。いまは放射線治療も進化していて、患部にピンポイントに当てています。しかし、過去には患部の周囲も含めてものすごく広く放射線を当てていました。そのため、広い範囲で皮膚の引きつれに悩まされたり、心臓や血管にもダメージが残ってしまっていたのです。

 こうした“後遺症”による心臓病は、乳がんの手術後に放射線治療を受けてから、20~25年ほど経った頃に表れます。かつて30代くらいで乳がんの手術と放射線治療を受け、その後は大きな病気もしないまま70代半ばを迎えた患者さんにそうしたケースが見られます。

 先日、心臓手術を行った79歳の患者さんも、とても苦労しました。その患者さんは、かつて乳がんで左の乳房を全摘出してから放射線治療を受けています。その影響で冠動脈が狭窄してバイパス手術が必要なうえ、弁も2つ処置をしなければなりませんでした。さらに、不整脈を改善させるためのメイズ手術も行いました。

 それだけの大がかりな手術だったことに加え、手術を行う際もたくさんの制限を受けました。乳房全摘手術の傷というハンディキャップがあるうえ、左胸の放射線治療によって心臓にダメージがあり、血管も石灰化が進んでいます。

 また、左脇の下のリンパ節もすべて取り除いていたことで左腕がむくんでいる状態でした。そのため、バイパスに使うための血管は、心臓の周囲からも左腕からも取れません。つまり、左半身の血管はすべて使えない状態でした。通常の場合、バイパスに使う血管は左半身から採取します。ほとんどの場合、執刀医は患者さんの右側に立ちます。右利きの場合、その方が操作をしやすく、モニターなどの機械類も執刀医が右側に立つことを前提に設置されているからです。そのため、バイパスに使うための血管の採取は患者さんの左側に立つ助手が行うのが一般的です。

 しかし、その患者さんは左半身の血管は使えず、右半身の血管で勝負するしかありません。助手には任せられない状況だったので、血管の採取からひとつひとつすべて自分で行いました。まずは右腕の橈骨動脈、次に右側の内胸動脈、さらに胃の周りの右胃大網動脈を採取します。そこからまた開胸して癒着を剥離してからバイパスを作り、弁をひとつは形成して、もうひとつは生体弁に置換。さらに、不整脈の改善のために心房の筋肉を切り刻むメイズ手術を行いました。手術はトータル10時間30分ほどかかりました。手間がかかる再手術ではなく、初回の手術でこれだけ時間がかかるのは極めて異例です。

 なぜ、ここまで大がかりな手術をしなければならないかというと、乳がん手術後の放射線治療による石灰化から起こった心臓病というのは、「中途半端に終わらせると、術後1カ月以内の死亡率が非常に高くなる」というデータがあるからです。放射線と癒着の影響で心臓が広がりにくくなる拡張障害が起こっているため、適当なところで手術を終わらせて病気を残してしまうと、血圧がきちんとコントロールできなくなるなどして悪化しやすくなります。「まあこんなところでいいか」で済ませると、大きなしっぺ返しがくるのです。こうした患者さんは決して多いわけではありませんが、平均で年間2人ほど手術をしています。たしかに大変ではありますが、すべてしっかり終えて、患者さんが見違えるほど回復していくと、大きな手応えを感じます。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。