海軍軍医の高木兼寛が海軍でかっけの撲滅に奮闘していたころ、陸軍でもかっけと闘う医師がいました。大阪陸軍病院院長の堀内利国です。彼は当初、かっけを伝染病と考え、患者の隔離により撲滅しようとします。しかし、効果はなかなか表れません。そんな中、部下の医師である重地正己から、「自分のかっけを麦飯によって治した」という話を聞きます。さらに重地は、監獄でのかっけが、米飯を麦飯に替えたところ激減したという事実も知っていました。
堀内はさっそく神戸監獄に重地を派遣し、かっけの発生状況を調べました。すると、米飯を出していた明治15年には70人、16年には17人の患者が発生していますが、麦飯に替えた17年には1人も患者が発生していないというのです。さらに、大阪、三重、岡山でも同様の結果が得られます。
これは単なる偶然ではありえない。伝染病説を信じていたにもかかわらず、堀内は麦飯を陸軍にも採用することを決定します。
まず、大阪鎮台という一地方部隊で兵士の食事が白米から麦飯に変更されます。明治17年の暮れ、高木兼寛の戦艦筑波の実験の前年です。
効果は翌年すぐに明らかになります。62人の連隊のうち35人がかっけになるというような状況の中、部隊全体でのかっけがゼロになったのです。
262人中32人がかっけの発症という筑波の結果に比べて、はるかに大きな患者の減少です。
白米を麦飯にすればかっけを撲滅できる、そんな結果です。
しかし、麦飯によってなぜかっけが減るかはいまだ謎のままです。
そして、この事実を知ってか知らぬか、その半年後には洋食普及に困難を感じていた高木兼寛も、海軍で麦飯を採用するのです。
数字が語る医療の真実