天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

高齢者の感染性心内膜炎の緊急手術は難易度がハネ上がる

順天堂大学医学部の天野篤教授
順天堂大学医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 心臓手術は、リスクが上がる条件がいくつも重なることで難易度がアップします。たとえば、「高齢」で「人工透析」を受けている患者さんの「感染性心内膜炎」の「緊急手術」となると、これだけで予測死亡率が35%くらいまで上がってしまいます。

 感染性心内膜炎とは、心臓をおおっている心膜や心臓の中にある弁に細菌が取り付いて感染を起こす病気で、発熱が続いたり、弁が破壊されて機能不全を起こすケースもあります。とりわけ、弁膜症の患者さんや、かつて弁を交換する手術を行ったことがある人は注意が必要です。歯科治療、風邪、外傷などがきっかけで血液内に侵入した細菌は、弁に感染巣を作りやすいのです。

 先日も、1年ほど前に弁置換術を行って生体弁に取り換えた80歳の患者さんの緊急手術を行いました。交換した生体弁が細菌に感染してしまい、しばらく抗生物質を投与して症状を抑えていました。しかし、エコー検査の結果、すでに弁がグラグラして外れてしまいそうな状態だと判明したため、手術することになったのです。

 ただ、その患者さんの患部は状態が悪く、交換する弁を取り付けるところが見当たりません。そこで「ベントール手術」を行いました。この手術は、人工弁が付いた人工血管の置換と冠動脈の置換を同時に行います。つまり、大動脈基部と大動脈弁をそっくり人工のものに取り換える大がかりな手術です。

 しかも、その患者さんの患部は癒着が非常に強い状態で、癒着を剥離している最中に心臓の栄養血管である冠動脈が切れてしまったのです。不測の事態ではありましたが、「癒着の状態を考えるとその手のトラブルが起こるかもしれない」と、ある程度の想定はしていました。すぐに足の静脈を採取し、切れてしまった冠動脈にバイパスを作りながらベントール手術を終わらせました。

 バイパスに使った足の静脈も何とか使える状態だったので、患者さんは一命を取り留めることができました。

 弁膜症の手術といえば、先日、81歳の女性患者さんに3度目の弁置換術を行いました。足かけ23年ほどの間に、すべて私が執刀した患者さんです。

 ご本人も慣れたもので、「また、先生にお世話になります。お願いね」と落ち着き払っていました。

 最初の手術は、23年ほど前で、僧帽弁を機械弁に交換しました。それから8年ほどたった頃、交換した機械弁に血栓がたまってしまい、今度は生体弁に交換する手術を行いました。

 機械弁は耐久性が高く頑丈ですが、生体構造とはかけ離れた“異物”なので弁の周辺に血栓ができやすくなります。術後に血を固まりにくくする薬を服用しますが、それでもやはり血栓はできやすくなってしまいます。

 一方の生体弁は、ブタや牛の弁などを人間に使えるように処理したもので、生体構造に近いことから血栓ができにくい利点があります。

 しかし、耐久性が低く、15~20年ほどで劣化して硬くなったり、穴が開いてしまいます。そのため、いずれ再び弁を交換しなければなりません。

■足かけ20数年で弁置換術を3回行った患者も

 先日行った3回目の手術は、まさに劣化して傷んだ生体弁を交換するものでした。患者さんはすでに80歳を越えていることもあり、今回も生体弁を使いました。耐久性が低くてもこの年齢になると20年近くはもちますし、今後はカテーテルによる弁置換術も普及するでしょうから、おそらくこれが最後の手術になるでしょう。この年齢の再々手術でも順調に終わり、回復も順調でした。女性の強さをあらためて感じさせられた症例でした。

 弁を交換する弁置換術が3度目となっても、手術自体の難易度がものすごく高くなることはありません。ただ、私の父親は、27年前に3度目の弁膜症の手術を受けて亡くなっています。当時、私は35歳で、自ら執刀するだけの技量がまだありませんでした。手術は信頼できる第一人者の先生にお願いしましたが、手術の1週間後に息を引き取りました。

 こんなことは二度とあってはいけない。そう強く誓っただけに、やはり3度目の手術は身が引き締まります。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。