独白 愉快な“病人”たち

1日遅ければ…おりも政夫が語る「舞台5日前」の盲腸手術

手術18日目に退院、その5日後には舞台復帰を果たした
手術18日目に退院、その5日後には舞台復帰を果たした(C)日刊ゲンダイ

 切り取った僕の内臓は、両手に山盛りになるほどの量だったみたい。妻と娘は、ビニール袋に入ったそれを目にしたといいます。医師からは「手術があと1日遅れていたら、死んでいた」と言われました。

 虫垂というのは、排泄物のたまり場みたいなものなんですって。人類の進化の過程で、なくても支障がない臓器になっていますけど、なんらかの原因で炎症を起こすと「虫垂炎」となるわけです。いわゆる「盲腸」ってやつです。でも、たかが盲腸、されど盲腸で、僕の場合は盲腸が壊死して小腸と大腸に癒着していたらしいんです。それでも、ピッタリくっついていてくれたから幸いでした。もし破裂していたら、腹膜炎で手術もできなかったかもしれないんです。

■手が震えてコップが掴めない

 痛みは突然でした。去年の9月のことです。6日後に、坂本冬美さんの30周年の特別公演を控え、稽古の真っただ中でした。前日までなにもなかったのに、その日は朝から食欲がなく、稽古場に着くなり差し込むような腹痛がきたんです。「なんだろう」と思いながらも、時代劇だったので扇子でお腹をグッと押すようにして、なんとか耐えました。結局、昼食も取らず、夕方6時に稽古を終えて帰宅し、夕食も取らずに風呂に漬かって8時ごろには床に就きました。

 ところが、その3時間後にものすごい寒さで目が覚めたのです。水を飲もうと思っても、手が震えてコップが掴めません。妻も娘も起きてきてくれて、熱を測ったら40度もありました。

 娘の運転で近くの病院へ行くと、白血球の尋常じゃない値と腹痛の様子から「虫垂炎」と診断されました。とりあえず痛み止めの注射を打ってもらったのですが、そこに当直していたのは内科医だけ。それで、人間ドックで毎年お世話になっている新宿の病院へ連絡すると、たまたま消化器科の医師が当直でいてくれたのです。いま思えば、それが運命の分かれ道でしたね。

 救急搬送でその病院に到着したころには、打ってもらった痛み止めで状態が楽だったので、医師に「盲腸なら、薬でいったん散らしてもらえませんか。5日後に舞台があるんで……」と伝えました。すると、「こんな白血球の数値でなに言ってるんですか」と言われ、明け方から緊急手術になったんです。

 最近は医療が進み、盲腸ぐらいなら内視鏡ですぐに終わるという説明でした。ところが、実際にのぞいてみたら壊死と癒着がわかって、結局、癒着した小腸と大腸もろとも切り取る4時間の大手術になったわけです。

 気が付いたら集中治療室で点滴だらけ。一番気がかりだったのは舞台です。「お腹を切ってしまったからには舞台は降板しなきゃいけない。申し訳ないけど謝るしかないな」と覚悟しました。

 でも、冬美ちゃんから「おりもさんが戻ってくるのを待っています」という手紙をもらったんです。涙が出ました。代役を立てずに座員だけでなんとかしのいでくれるとのこと。そう思ったら、そりゃリハビリにも熱が入ります。目的ができたことで入院生活に張りができ、手術の翌日から歩いて歩いて、とにかく筋力をつけるためにフロアを何周もしました。

 おかげさまで18日目に退院して、その5日後に舞台復帰できました。直前には、僕のためだけに全員、公演後に居残ってくれて、稽古をしてくれたりもしました。ありがたかったですね。

 そして千秋楽まで務め上げたその2日後には、今度はコンサートで歌って踊りました。さらにその年の12月には、フォーリーブスの50周年の東京公演があったので、いつも以上に筋トレに励みました。おかげさまで、誰よりキレのあるダンスを披露することができました(笑い)。

■先に逝ったメンバーからのメッセージ

 僕は63歳で虫垂炎になるまで、ケガはあっても病気はありませんでした。この年で入院、手術を経験したことで、つくづく完治して今まで通りに立ち直れたことへの感謝の気持ちが湧きました。そして、“残された時間”を大事にしたいという思いも強くしました。

 入院中は、病室でひたすら時間が経つのを待っていたんですよね。暮れていく新宿の雑踏を眺めていると、ひとり取り残された気がして感慨深かった。フォーリーブス50周年という年に、こうなったことにも意味があったような気がしています。まるで、先に逝った青山孝史と北公次に「おまえはもう少し下で頑張れよ」と言われたような気がして……。

 いつまでできるかわかりませんけど、生涯現役が目標です。ひとりでも見てくれる人がいる限り歌って踊るのが僕らの宿命だと思っています。

▽おりも・まさお 1953年、東京都生まれ。67年、4人組男性アイドルグループ「フォーリーブス」でデビューし、人気を博す。78年に解散後はタレント、司会、俳優など幅広く活躍。2002年に再結成するも、09年に青山孝史さん、12年に北公次さんが他界。昨年、結成50周年記念コンサートを江木俊夫さんと2人で開催した。現在、「夢のスター歌謡祭」での司会や各地の舞台出演で多忙な日々を送る。

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