天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

心臓手術には「勇気ある撤退」を決断する場合もある

順天堂大学医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 悪化していた三尖弁はすでに処置してあり、血液の逆流は改善しています。そこで、僧帽弁の交換はストップして、狭窄している部分を再び切開する方法に変更しました。これは、弁を交換する方法よりも古い術式でしたが、そのときに自分ができる最善策でした。たとえ古い術式でも、自分の技術の内側にあって、心臓手術の“教科書”にきちんと書かれている方法を選択したのです。

 その時点で手術が理想通りいかなかったとしても、術後管理を徹底すれば改善が期待できます。看護師とともに付きっ切りで管理に力を注ぎ、リハビリを経て35日後に退院の日を迎えました。もちろん、患者さんとご家族にはきちんと行った手術の説明をして、納得していただきました。

 その患者さんは手術から4年半後、畑で農作業中に脳梗塞で倒れて亡くなったと連絡をもらいました。残されたご主人が「畑仕事に戻ることができた。手術してよかった」と話されていたことも伝え聞きました。あのときの「勇気ある撤退」は、やはり意味があったと思わされました。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。