悪化していた三尖弁はすでに処置してあり、血液の逆流は改善しています。そこで、僧帽弁の交換はストップして、狭窄している部分を再び切開する方法に変更しました。これは、弁を交換する方法よりも古い術式でしたが、そのときに自分ができる最善策でした。たとえ古い術式でも、自分の技術の内側にあって、心臓手術の“教科書”にきちんと書かれている方法を選択したのです。
その時点で手術が理想通りいかなかったとしても、術後管理を徹底すれば改善が期待できます。看護師とともに付きっ切りで管理に力を注ぎ、リハビリを経て35日後に退院の日を迎えました。もちろん、患者さんとご家族にはきちんと行った手術の説明をして、納得していただきました。
その患者さんは手術から4年半後、畑で農作業中に脳梗塞で倒れて亡くなったと連絡をもらいました。残されたご主人が「畑仕事に戻ることができた。手術してよかった」と話されていたことも伝え聞きました。あのときの「勇気ある撤退」は、やはり意味があったと思わされました。
天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」