がんと向き合い生きていく

大丈夫にみえた患者さんが「おかしい」と連絡が入った

都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長
都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長(C)日刊ゲンダイ
膵臓がんで手術はできないと告げられて…

 私の失敗談をお話しします。7~8年ほど前、元アナウンサーのYさん(63歳・男性)が、膵臓がんの疑いにより消化器外科で全身麻酔での手術を受けました。ただ、開腹してみるとがんは腹膜まで広がっていて、切除できずにそのまま閉腹となりました。

 手術翌日、Yさんは担当医から「がんは切除できなかった。今後は抗がん剤専門の化学療法科(腫瘍内科)で治療することを勧める」といったことを告げられたといいます。私は外科担当医から報告を受け、またYさんは了解されているとのことで手術2日後にYさんのところに伺いました。

 初めてお会いしたYさんは、手術後すっかり覚醒しておられる印象を受けました。奥さんも同席された場で、Yさんは「病気のことは隠さず話して下さい。覚悟はできています。私はクリスチャンです。死んだら○○教会にお願いできます。すべて教えて下さい。自分は絶対に乱れたりしません」と希望されました。

 私は、すでに外科医から説明されていることでもあり、またYさんのお気持ちも聞いたことから、膵臓がんであったこと、手術ではがんが取れなかったこと、これからは抗がん剤治療を勧めることをお話ししました。もし抗がん剤治療に同意されるなら入院中に開始して、副作用が大丈夫ならその後は外来治療としたいこともお伝えしました。

 患者さんにとっては厳しい内容でしたので、Yさんの表情を見ながらゆっくりと話したつもりでした。

「何か質問はありますか?」

「いえ、大丈夫です」

「明日の午後にまた来ます。その時、またどうぞ、遠慮なく質問して下さい。一緒に頑張っていきましょう」

「よろしくお願いします」

 そのような会話を交わし、その日は1時間ほどの説明で終わりました。Yさんはアナウンサー時代の野球実況の話をされたりして、私は度胸の据わった、しっかりした方だという印象を受けたことを覚えています。

 翌朝、病棟の看護師さんから「Yさんがおかしい」と電話がかかってきました。Yさんは、朝早くから自宅へ電話して「家の換気扇が汚れているから拭きなさい」「トイレが汚い。すぐ掃除をしなさい」と、奥さんに指示しているというのです。

 私が病室に行くと、Yさんの表情は昨日とはまったく違い、とても硬くなっていました。

 さらに、奥さんに対して怒る言葉がたくさん聞かれました。

 私は「Yさんは『自分は大丈夫』と口にしていたものの、実際は強い心理的ストレスを受けていて、その精神状態の表れではないか」と心配になりました。

 私はすぐに精神科医に相談し、診察してもらうことにしました。精神科医の診断は「がん告知の心理的原因よりも、手術後の譫妄だろう」とのことで、精神安定剤が処方されました。「譫妄」とは、身体的な異常(手術後では1~3日後に起こる)や薬剤によって引き起こされる脳機能不全で、周囲の状況が把握できない、幻覚、興奮などの症状が表れます。多くは一時的な症状です。

 私は、もう2~3日、術後の譫妄が表れないかどうかを見極めてから説明すべきだったと反省しました。

 精神科医の処方もあり、幸いYさんは数日で病状は好転しました。10日後に再度、病気の説明をしましたが、Yさんは前回と同様に納得され、治療を受けられることになりました。

 それにしても、Yさんにとっては「がんは手が付けられない状態だった」と告げられたことは、どう考えても大変なショックだったのは間違いありません。

 精神科医は手術後の譫妄だと言いますが、前日の私の話の影響がなかったとは言い切れないと思うのです。

 その後、淡々と治療を受けられるYさんに、私は「つらい時は遠慮なくつらいと言っていただいて構いませんよ」と繰り返しました。Yさんは説明に一つ一つ納得され、奥さんを怒ることもなく、感謝しながら、最期までYさんらしく生きられたように思います。

 たとえ気丈に見えても、患者さんが受けるショックは計り知れない。私の苦い経験です。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。